「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

【無料記事】【コラム】「栃木は自分を育ててくれた大事なクラブ」FC東京 水沼宏太 J3降格を喫した古巣への思い

あれから4年、高いステージに駆け上がった水沼宏太

 

 

「僕も覚悟を持って今季、FC東京に入ってきましたし、今年からまた新たに攻撃の部分で僕自身が新しい色をつけていければいいと思っているので、ACL、そしてリーグ戦含めて今は楽しみでいっぱいです」

 

壇上の水沼宏太は堂々としていた。かつて栃木SCでプレーしていた頃に比べれば、体の線はいくぶん太く、そして精悍な顔立ちになっていた。

 

2016Jリーグプレスカンファレンス。その1部では今季のJ1でキーマンとなる選手たち、青山敏弘(広島)や柏木陽介(浦和)、岩下敬輔(G大阪)らが壇上に上がり、司会者たちの問いかけに答えていた。FC東京の水沼宏太もその一人だった。

 

ACLはとにかく一つひとつ勝って、中国の爆買いには負けないように日本勢の力を見せていければいいかなと思います」

 

いまの水沼の視界が捉えているのは、ACL制覇であり、J1制覇だ。水沼が栃木SCを去ったのは2011年の暮れのこと。あれから4年が過ぎた今、水沼は遥かに高いステージにいた。

 

「お久しぶりです」

 

カンファレンスの二部。FC東京のブースに顔を出してみると、こちらに気づいた水沼はそう声をかけてくれた。

ただ、注目選手とあって様々なメディアが殺到、なかなかじっくりと話を聞くことができず、ようやくチャンスが巡ってきたのは、二部ももう終わりに近づいた頃だった。

 

水沼はにっこりと笑って「栃木のことはずっと意識しているんですよ」と言った。

 

「クラブハウスができたことだって知っているし。僕らがいた頃はまだクラブハウスもなくて、練習場もはっきりしていなくて大変な環境でしたもん。でも、あの頃は(2011年に)J2で首位を走っていたんですからね」

 

水沼が加入して2年目となる2011年。松田浩監督が率いる3年目となったこのシーズンは、中盤中央に闘将パウリーニョ(現湘南ベルマーレ)が君臨し、堅守速攻のスタイルで上位に躍進していた。水沼は主に右サイドのレギュラーとして活躍。カウンターの切込隊長役を担っていた。

 

チームはシーズン序盤から上位に食らいつき、そして夏前から当時J2落ちを喫していたFC東京と激しい首位攻防を演じた。そして821日、栃木はホーム・栃木県グリーンスタジアムに迎えたFC東京に対し、持てる力をぶつけた。詰めかけた観衆は9953人。グリスタが熱狂に包まれるなか、試合終盤、栃木に相手を突き放す追加点が生まれる。

 

右サイドを抜け出したのは、水沼だった。右サイドから中央へ切り込み、左足一閃。見事なゴールが突き刺さり、チームは2対1で勝利した。

 

そんな思い出話に水沼が「感慨深いですよねえ」と目を細めている。

 

今の栃木は土台となるものを積み上げられるチャンス

 

水沼にとって栃木は、プロサッカー選手として飛躍するのに欠かせなかったチームだ。栃木入りしたのは、当時、横浜Fマリノスで長い間、出場機会を失い、そしてプロサッカー選手として自分自身を見失いかけていた時期だった。

 

「本当にこのままじゃダメだと思っていた時期に栃木に加入して、自分のことを成長させてもらったという大事なクラブ。栃木にいた1年半(2010年夏から2011年最後まで)に経験したことが自分の自信になっているところがあるんです。どん底から這い上がって、鳥栖でさらに成長させてもらって、そして今はこういう日本のトップで戦えるクラブに入ることができた。頑張って来てよかったと思うし、でもまだまだ目指すところは遥か上にあるんで、そこに向けて頑張れたらいいなと思っているんです」

 

心のなかにあり続ける栃木への思い。だからこそ、昨季の栃木のJ3降格は他人事ではなかった。昨シーズン、栃木がJ2の下位に低迷する頃から気が気ではなくなった。

 

「ものすごくショックでした。最後の3試合は特に見ていましたね。あの後半アディショナルタイムに決められた試合は……」

 

40節ギラヴァンツ北九州戦。69分の荒掘謙次の40メートルはあるだろうミドルシュートが突き刺ささり栃木が勝ち越すと、リアルタイムで中継を見ていた水沼は、自身のツイッターで歓喜の声を上げていた。

 

しかし、2対1でリードして迎えた後半アディショナルタイム。栃木が、まさかの2試合連続となる悲劇的な同点被弾を食らうと、水沼のツイッターを打つ手が止まった。J3降格が濃厚となる、悲劇的なゴールだった。

 

「まさか決められるとは思っていなかった。ただ、ちょっとしてから、やっぱり昨季の栃木には何かが足りなかったんだろうなと思ったんです。たとえば身体を張るとか。僕らが栃木でプレーしていたときは、松さん(松田浩監督)が本当によく言っていたことだし、それはずっと自分のなかに大切なものとして今に活きているところがあるんです。その意味で、今の栃木はそういう土台となるものをしっかりと積み上げられるチャンスでもあると思うんです。J3に落ちた今だからこそ、そこを疎かにしないで、一つひとつ積み上げていくことが大事じゃないかなと思いますね」

 

今までも、そしてこれからも大事に思うクラブだからこそ言える叱咤激励。

 

「あれだけのクラブハウスができて、それでJ3を戦うクラブってほかにないし。僕らのときは人工芝のグラウンドで練習する日もあったし、芝の良いところを探して、今日は壬生に行く、明日は市貝に行く、と繰り返していた時代。そういう大変な時代があったことはサポーターの皆さんも絶対に頭に残っていると思うし、そういう時代があったからこそ、踏ん張ってもう一回上にいけるという気持ちも絶対にあると思うんです。僕自身、栃木はJ1で戦えるクオリティのあるクラブだと思っているから、(廣瀬)浩二さんを筆頭にチーム一丸となって、とにかく早く、1年でJ2に上がってきてほしいと願っています」

 

(了)

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