ターニングポイントはドイツ行き。「僕はプロになることを諦めなかった」【Jリーガーの履歴書 Vol.1 西谷優希編】(20.4.29)
新連載、Jリーガーの履歴書。プロになった選手たちのプロ入りまでの歩みを振り返ります。Vol.1は西谷優希選手をピックアップ。
▼小中時代は県トレセンにも縁遠く
――今日は昔にさかのぼった話を聞かせてください。西谷優希選手にとってプロになるターニングポイントは?
「ドイツに行くときですかね」
――仙台大学に行き、それからプロを意識したと。
「プロになることは昔から意識していましたが、プロのレベルに触れることなく大学まで進んでしまって、何も実感がわかないままだったんです。大学生になったらプロ入りはもうラストチャンスだし、徐々に危機感も芽生えていて。それで、プロクラブの練習に参加したときに今のままではプロになれずに終わると。何かを変えないといけない、という危機感が高まって、それでドイツ行きを選んだんです」
――Jクラブの練習に参加して危機感を持ったんですね。
「大学に入ってから、プロクラブの人数合わせで練習に入ったんです。ベガルタとか山形とか」
――大学に入るまでは高校は鹿島学園、中学時代はJEF宇都宮。そこまでは和希選手と二人で一緒でした。
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