「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

バリバリの商社マンとして働く未来が一転、アルビレックス新潟シンガポール行きを決断させた出来事とは?【Jリーガーの履歴書 Vol.2 柳育崇編】(20.5.2)

新連載、Jリーガーの履歴書。プロになった選手たちのプロ入りまでの歩みを振り返ります。Vol.2は柳育崇選手をピックアップ。

 

▼本当は今頃、商社でバリバリ営業していたはずだった

――柳選手は専修大学を卒業後の17年、アルビレックス新潟シンガポールに加入しています。この時の経緯を教えてください。

「声をかけてもらったきっかけは、大学の最後のインカレ、大学最後の全国大会のタイミングで、たまたまアルビレックス新潟シンガポールの方が見に来られていて、それがきっかけでした」

――現地の方ですか?

「アルビレックス新潟シンガポールの社長ですね」

――ということは、今のアルビレックス新潟の是永社長ですね。

「そうですね。そのインカレの試合で僕はフォワードで出場していて2点を奪ったのですが、それで興味をもってくれたようなんです。僕自身はてっきりフォワードで起用されるものだと思ってシンガポールに行ったんですけど、現地ではずっとセンターバックでした(笑)」

――それまではフォワードだった?

「僕、高1まではフォワードだったんです。で、高2から大学3年までの5年間はセンターバックをやっていて、また大学4年でフォワードに変わったんです」

――それはチーム事情で?

「そうですね。チーム事情でフォワードがいない状況になってしまって、たまたま紅白戦で僕がフォワードをやったら思いのほか良くて、その後フォワードに定着したんです」

――では専修大4年のときはほぼフォワード?

「そうですね」

――インカレのときにFWの柳選手を見てもらい、シンガポールでフォワードで活躍してやる! と意気込んでて行ってみたらセンターバックだったと。

「最初はフォワードで使ってもらえる感じもあったんですけど、またもやチーム事情があって、センターバックに欠員が出てしまい、それで僕がやることに」

――服部康平パターンじゃないですか。是永社長からインカレ後にシンガポール行きの話をもらったとき、他にもプロ入りなどの選択肢もあったと思うんです。そのときはどういう状況だったんですか?

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