「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

「僕・私の忘れられないエピソード」 応募作を大発表!【トピックス】(20.5.6)

 

▼力作ぞろいの14篇

先日、募集しました「僕・私の忘れられないエピソード」。たくさんのご応募、ありがとうございました。

皆さん、“ちょっとしたワンシーン”の描写をしっかり書き込んでくれているので、そのシーンを想像できて楽しい気分に浸ることができました。

こういうちょっとした話、僕は大好きです。魂は細部に宿る、というように、ちょっとしたエピソードにこそ栃木SC愛が凝縮しているもの。また機会があれば、どしどしとご応募ください。それでは、今回応募のあったエピソード14篇をさっそくどうぞ(文章は少し編集しています)。

 

●お名前:のあ

 

元々ホームメイン住人でしたが、転勤で中国地方在住3年目。西日本でのアウェイ戦は、新しい発見があるし、楽しいですね。あれだけ耳についていた徳島のチンチン応援も気にならないほどです。

忘れられないエピソードといえばJ3復帰がかかった愛鷹でのアスルクラロ沼津戦。何年ぶりかという「こだま」に乗って日帰りの沼津へ。結果は言わずもがなですが、駅からスタジアムまでのタクシーの運ちゃんから、

「今日は栃木から来たって人だけしか乗せてないよ」

という何気ない一言に、オール栃木じゃん! という感慨を覚えました。

コロナとの戦い、オール栃木の組織的DFで封じ込めましょう! キープムービンフォワード!

 

編集長
沼津のサポーターが「なんだよこれ栃木のホームじゃん」と呆然としていたのを僕も印象深く覚えています。まさしく栃木の底力。

 

 

●お名前:ゴール裏のおじさん

 

2016 大分トリニータ戦、キーパー吉満のミスでゴールを決められたあと、普段は試合前キーパーのウォーミングアップの時にコールするキーパーのチャントがゴール裏から歌われた。

この時の一体感とサポーターが選手を後押ししている。熱いものがこみ上げた。

 

編集長
 そうしてスタジアムのギアがあがり、その直後、上形洋介の勝ち越しゴール! ですね。

 

 

●お名前:コナ

 

小学3年生になった息子に生でスポーツ観戦をさせるのもいいかと思い、ブレックスやアイスバックスではなく、「何となく」栃木SCの試合を家族4人で見に行った2016年4月。藤枝に2-0で勝利した試合で、試合後の感想は「栃木のチームが勝って面白かった」程度でした。ヒーローインタビューを聞くまでは。

「僕は、栃木に、このチームを助けるために、助けられると思って来ました。去年、皆さんは悔しい思いをしていると思います。僕は、栃木を助けたいと思います」

J3降格の悔しさ、シーズン初勝利のうれしさ、そしてこれを言った大石のことももちろん知らない私でしたが、なぜかこの言葉が胸に突き刺さり感動したのを覚えています。ツグの言葉がなければ、もしかすると私と息子のサポーター人生は始まってなかったかもしれません。

 

編集長
大石治寿のヒーローインタビュー、僕もしっかり覚えています。点取り屋の覚悟が滲んだ、近年なかった、言葉に力のあるヒーローインタビューでした。

 

 

●お名前:キグルミ

 

19年away甲府。

足利から3時間30分のところ9時間かけ、後半途中から参戦。

前日の台風被害でほとんどの栃木サポーターがスタジアムに到着できず、キックオフ時点は7名で手拍子と声で応援開始。

(小瀬に向かうことを諦めたサポーターも多数)。

迂回や渋滞を越え徐々にサポーターがスタジアムに到着し、ドラムも加わり、最終的には100名を超える栃木サポーターの声が響く。

足利組は当初圏央道〜中央道を予定していたが、出発の時点で高速は通行止め。途中で解除されること期待しながら向かう。

いきなり群馬→埼玉に抜ける橋が通行止めに(良く知る地元道なので難なく迂回)。

台風被害が大きかった東松山で次の通行止め(コチラも個人的に鳩山から狭山-入間に抜ける道を知っていたため遠回りなるがクリア)。

他のサポと連絡取りつつ圏央道八王子を目指す。途中電車が運休になり行くことを諦めていたドラムを高尾でピックアップ。

中央道は倒木などで通行止めが続くため、圏央道〜東名を選択。

富士五湖道走行中に試合が始まった。

HTにようやく小瀬の駐車場到着。

ユニフォームへの着替えも諦め、ダッシュでスタンドへ。

『おぉ来たか』と迎えられる。

…結局マスコットと絡みも、スタグルも楽しめなかったけれど、無事に辿り着けて本当に良かった。

サポ同士情報交換や協力しスタジアムに続く1本の道を見つけた(甲府サポの友人・他サポ友人からも現地周辺の情報をもらった)。

1人だったら諦めてしまうことも、仲間と協力することで叶うこともある。

情報力と無駄に積んでいた経験が活かされたとも感じた。

某九州の試合の時とは違い、試合中に辿り着けたし(笑)

後に甲府のサポーターやスタッフから『途中から栃木サポが増えていくのがわかった』とも聞いた。

橋本社長に『無理はするな』と言われながら、無茶しない範囲で頑張りに頑張ってなんとか甲府まで辿り着けた。

今全世界でコロナによって沢山の試練を強いられている。みんなでここを乗り越え、またスタジアムでバカなことを全力で出来る日のために備えよう。

辛いけど。面倒だけど。あれこれ尽くして、またスタジアムに続く1本の道を見つけよう。

肩を組み大声で『突撃』を歌える日のために。

 

編集長
はい、あのとき一人では試合会場にたどり着けなかった人がここにいます(笑)。あのときほど、もっと早く誰かに頼ればよかったと後悔したことはありません。助け合って乗り越えるのって大事。

 

●お名前:リッキー

 

あの愛鷹での沼津戦。

那須塩原から車で前乗りして参戦。自分にとって初めてのアウェイ。

特に何も考えず自然とゴール裏へ(グリスタではゴール裏は何回か経験)。

沼津の薗田選手に早々に決められザワつくゴール裏。それでもみんな応援をやめず気づけば後半も半ば。

自分は声を出すことも忘れただボールの行方を追っていた。

一つ一つのプレーに感情が入る。

西谷和希の正面でフリーで打ったシュートがキーパーに弾かれた時は今年もダメかもしれないと思った。

しかし、今年は頼もしい男ネイツがいた。後半32分、ゴール前の混戦から菅ちゃんが繋いでネイツが左足で決めた。会場が揺れた。ゴール裏もめちゃくちゃだった。自分も見ず知らずの人と思い切りハイタッチしていた。感情が爆発していた。身体に信じられないくらい力が入っていた。

試合が再開され身体の力が抜けていく時、自然と涙が溢れてきた。こんなことは初めてだった。サッカーの試合を見て泣くことすら初めてだった。やっとJ2に戻れる。昇格じゃない、復帰だ。俺たちがいた場所いるべき場所に戻るだけだ。J2でもやってやる!

こんなに喜怒哀楽を90分で感じたことはない。

改めて自分が栃木SCが好きなんだと思えた1日だった。

自分のほかにもこう思ってるサポーターは多いはず。

こういうサポーターの当時の思いなどは新たに入ってくる選手などに絶対共有したい。

そうすれば選手達は絶対に闘ってくれる。

降格は絶対にしてはいけない。

あの2年間があったからこそ、去年の劇的な残留につながったと思う。クラブとして踏ん張れたと思う。これからどんどんクラブが大きく成長していくことを願うばかり。

いつの日かJ1へ!

 

編集長
2015年の途中からずっと苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いた先にやっと掴んだJ2復帰の味は、これからもきっと一生忘れないでしょうね。あの苦しさを知っているからこそ、昨季、逆転残留という奇跡を起こせたのだと僕も思います。

 

 

●お名前:サカ僧

 

17年ホーム北九州戦。

この日もいつも通りバックスタンドの中央付近で観戦していました。栃木は怪我人などで思うようなメンバーが組めない中で坂田良太選手が出場。

セットプレーで坂田選手、北九州の選手含む数人が混戦した場面。

自分はまず口から「高っ」の声、それは坂田選手のジャンプでした。もともとエアバトルには強いイメージがありましたが、思わず出た独り言でした。

そして自分の場所からは何が起きたかよくわからない状況で倒れている坂田選手と、それを囲み慌てている両チームの選手たち。坂田選手の大ケガの場面です。

その中でも自分が印象的だったのは、事の重大に気づいた北九州の選手がいち早くレフリーにアピールし、担架を呼んでいる姿。込み上げるものがありました。敵といえども同じサッカー選手、全力でプレーし、球際などで激しいバトルをしながらも坂田選手の異変にいち早く対応した姿。

これこそフェアプレーだと思いJリーグがより好きになりました。

 

編集長
あのとき北九州の選手たちが慌てていたのを鮮明に覚えているし、それだけ事が重大だったということ。その大きな壁を乗り越えた坂田良太の第2の人生に期待します。

 

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