J2昇格&残留争いはどうなる?LIVE(J論)

「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

慶應幼稚舎時代から譲れなかったプロ入り。でも勉強との両立は本当に大変だった。【Jリーガーの履歴書 Vol.9 松岡瑠夢編】(21.9.23)

連載、Jリーガーの履歴書。プロになった選手たちのプロ入りまでの歩みを振り返ります。Vol.9は松岡瑠夢選手をピックアップ。慶應幼稚舎出身というサッカー選手としてレアな経歴に焦点を当てています。

 

▼「めちゃくちゃ楽しかった」慶應幼稚舎時代

――東京都出身ですね。

「東京都多摩市ですね」

――学校は慶應幼稚舎に進みました。サッカー選手として慶應幼稚舎出身というのは、V・ファーレン長崎の都倉賢選手くらいしかいないレアケースなので、今日はこの辺りを深掘りして聞きたいと思っています。(※幼稚舎は6年制の一般の小学校に相当する)

「両親の考えもあり、小学校受験はするという話でした。実際に入れるとは思っていなかったですけどね。それでも塾に通いながら勉強して、何とか受かって慶應に行きました」

――5歳くらいから勉強していたと。

「4歳くらいから2年くらいです。幼稚舎の受験はガチガチのものではなく、図工をしたり運動をしたり礼儀を大事にしたりするので、それらを色々なところで学んだり、家でも両親がしっかりとやってくれたりして合格できました」

――大変でした?

「自分はサッカーがやりたかったのですが、『受験が終わったらいいよ』ということだったので、サッカーをやるために頑張っていたという記憶があります。もちろん公園で遊びのサッカーはやっていたのですが、チームに入るのは受験が終わってからだよ、ということだったので」

――サッカーを始めたいと思ったのはどうしてですか?

「幼稚園にサッカーゴールがあって、走ったり、友達と駆けまわったりするのが好きでした。みんなでボールを蹴っているのが好きで、当時ロナウジーニョのプレーも大好きで、めちゃくちゃすごいなと思って憧れていたのがあります」

――幼稚舎に入ってから、中学、高校、大学と進みますが、やはり勉強は大変なのですか?

「僕は本当に友達に恵まれていたと思います。中学、高校と上に行くにつれてだんだんと勉強が大変になっていくんです。まだ幼稚舎のときは、勉強というよりは身体を動かすとか、その中で競争意識を持たせながら、日本や世界でリーダーになれる人間を育てるといった方針なんです。幼稚舎では、世の中でリーダーになることとか、生きるために必要なこと、などを教えてもらえたので、めちゃくちゃ楽しかったという思い出しかないです。ただ、上へと進むにつれて、受験で新たな人が慶應に入ってくるし、だんだん勉強が大変になっていくんです。でも、僕の場合は周りの友人たちにめちゃくちゃ恵まれていて、みんながいろいろ助けてくれて、それで卒業できました(笑)」

――なんですか、色々助けてくれるというのは(笑)。

「ノートをくれたり、テスト前には『こうやったほうがいいよ』と教えてくれたり。高校のときはクラスメイトのほとんどは慶應の部活に所属していて、テスト前になると部活動はお休みになるのですが、自分はユース所属(FC東京U-18)だったのでテスト期間中も休みが取れなかったんです。だからテスト前に頭の良い友人に分からないことを聞いたり、まとめノートをもらったりしながら、ユースに行くまでの電車の中で覚えて、帰るときも死にそうになるくらいに眠いけれど何とか頑張って覚えて、それでテストに臨むような感じでした。そういう仲間がいなかったらきっと無理でしたね。高校も、大学も、卒業するのは難しかったと思います」

――慶應と聞くと、慶應創設者の福沢諭吉さんを思い浮かべるのですが、やはり“諭吉先生”という感じなんですか?

「福沢諭吉先生の自伝を読むような授業はありましたね」

――あるんですね。その中で強調されていたのが、リーダーになること。

「幼稚舎では、いかにリーダーを発掘するか、みんなを巻き込める存在になれるか、が強調されていました。リーダーになれる人間は貴重だし、リーダーを意識する教育だったと思います」

――そうすると大学を卒業した同級生なんかも独立して事業を起こそうとしているような人もいる。

「いますし、一流企業に入って、といってもまだ1年目なのでまだみんな大人しくしていますけど、色々な分野で活躍し始めていくと思います」

 

▼プロ入りの夢は譲れなかった

――松岡選手としては幼稚舎の頃からサッカー選手になる夢は揺るがなかったのですか?

「そうですね。今思えばなんでそんなに拘っていたのか定かではないのですが、絶対に譲れないという感覚でずっといました」

――小さい頃からですか?

「妥協するのが嫌いなんです。サッカーを始めた子たちはみんなプロサッカー選手になることを目指すじゃないですか。自分も目指していて、それを途中で変えるような選択をするのは嫌でした。ある意味では道を変える勇気がなかったとも言えますが、妥協したくなかった。プロになって、プロで活躍するまで頑張ろうと自分の中で決めていたところはありました」

――松岡選手はFC東京のアカデミーに入るわけですが、慶應には同じような同級生は他にもいたのですか?

「幼稚舎のときの同期に川崎フロンターレのアカデミーにいった選手がいました。彼とは慶應大のソッカー部でも一緒だったんです。あとは高校時代に別の選手ですがフロンターレのGKをやっていた選手がいます。慶應の部活動ではなく、外で活動したのはそのくらいですね」

――松岡選手のようにJクラブの下部組織に入ってプロになろうとしている人はそんなに多くなかったと。

「みんな運動はできるんです。みんな足も速いし、水泳もできるし、ただ、みんな色々な可能性を残していたと思うんです。色々な競技をやっていて、サッカーだったらスクールだけに通って、水泳もやりながら、野球をやりながら、という子もたくさんいました。自分はサッカーに特化してやっていたという感じでしたね」

――サッカー以外に迷ったときは?

「ないですね」

――ないですか。サッカー一筋。

「はい」

――FC東京U-15むさしに行っているときは一緒にプレーしている選手たちはプロを目指しているから意識はプロに向きますよね。

「そうですね。自分は小学生のときは東京ヴェルディジュニアに所属していたんです」

――そうなんですね。

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