【期間限定無料記事】日々雑感-約束を果たす時(2012/1/24)

どんなときでも全力を

2012年1月17日。霧に包まれたキングパワースタジアムで、阿部勇樹はベンチに佇んでいた。

チームはエースFW・ジェーメイン・ベックフォードのハットトリックで隣町の宿敵、ノッティンガム・フォレストを圧倒し、FAカップ4回戦への進出をほぼ確実にしていた。

そんな中、阿部は2試合連続でスタメンから外れていた。1月14日のイングランド・フットボールリーグ・チャンピオンシップ。レスター・シティはホームにも関わらずバーズンリー相手に不甲斐ない戦いに終始してサポーターのブーイングを浴びていた。それなのにナイジェル・ピアソン監督はノッティンガムとの大事なゲームにも阿部を先発させなかった。

スターティングメンバーに自らの名前がないことは前日から分かっていた。ピアソン監督は前日のミーティングでスターティングメンバーを必ず発表するからだ。もしかしたらベンチからも外されるかもしれない。半ば諦めかけたように迎えた翌日、それでも彼はベンチ入りメンバーに入り、試合出場への微かな望みを残した。

後半に入り、チームが3-0とリードする中で、ベンチに座る阿部に監督から声が掛かる気配はなかった。だが彼はこれまでもそうしてきたように、どんな状況であってもすぐさまプレーが出来るよう自らの意思でベンチから立ち上がり、控え選手用の黄色いビブスを付けてライン際に走っていった。数回ダッシュをした後、左足を伸ばし、右膝を付いてピッチ上の戦況を見つめる。するとチームはノッティンガムに引導を渡す4点目をマークする。その瞬間、阿部はゆっくりと歩を進めてベンチに座り、ビブスを脱いで両膝に手を突き、少しだけ俯いた。結局この日も阿部に出番が与えられることはなかった――。

サッカーの母国で戦いながら

イングランド・レスターシャー州の単一自治体であるレスターは歴史ある地方都市だ。主要駅から街の中心地へはすぐに辿りつけるし、周囲を散策しようと思えばものの1時間で回れるほど小規模なこの街にはイングランド人の他に、インド系や中国系などの移民が多く住んでおり、こじんまりとした繁華街にはインド料理屋や中華料理屋などが点在して多国籍感が漂う。ちなみに日本料理は街に2軒ある。ひとつはイングランド国内でも有名なチェーン店で、もうひとつは寿司屋。だが味については、もし日本人の方が食したら少々ガッカリしてしまうかもしれない。

阿部はこの小都市で1年半の時を過ごしてきた。不自由は何もなかった。日本ではほとんど家事をしなかったが、イングランドに住んでからは積極的に自炊をしたし、部屋の掃除にも勤しんだ。中心街にある青空市場には毎日新鮮な野菜が並ぶため食材探しに困ったりはしない。外食はほとんどせず、家で過ごすことが多かったが、サッカーをプレーする環境としては最良だった。

サッカーにも違和感なく順応出来た。フィジカルを全面に押し出すイングランド式フットボールはもちろんタフだが、精神を保てば屈強な相手とも伍して戦えると実感した。

サッカーの母国でプレーし続ける意義は感じている。チャンピオンシップ(イングランドでは2部に相当)と言えども、リーグにはかつてプレミアリーグを席巻したクラブが数多く在籍しているし、財政的にプレミアに相応しいクラブもたくさんある。試合をする時は、そんな骨のある相手と雰囲気あるスタジアムで戦うのが本当に楽しみだった。

いつかはプレミアでプレーする。その思いは強かったし、今でも心の片隅にその夢は携えている。一方で今、阿部はあるクラブに想いを馳せる。あのクラブで、あのチームでプレーする。そこで得られる志、歓喜、達成感は何物にも代えがたいものだ。それはここ、レスターに来てみて改めて感じたことでもある。

駒場でもらった言葉

2011年シーズンの浦和が低調だったことは知っている。レスターに居ても常にチームの情報はネットで入手していたし、時折日本へ帰国した時にはかつての仲間の下へ行き、クラブの状況を聞いていた。2011年シーズンの浦和は前年までのスタイルを放棄して新しいやり方に挑戦したが、途上の内にクラブが再び体制の刷新を選択したことも、もちろん知っている。

誰のせいなどとは言わない。あえて言えば、このクラブに関わる者全ての責任だ。クラブフロント、監督、選手、サポーター……。このクラブを愛する者たちが再びひとつになって変革を遂げねば、このチームは生き返ることが出来ない。それを認識しているからこそ、自分がこの場所で生きる意味は、まだあるのではないかと思った。

2010年9月5日、駒場スタジアム。レスター・シティへの完全移籍を決めた時、サポーターへの別れの挨拶は出来ないと思っていた。しかしチームが天皇杯で勝利した試合後、急遽周囲に促されてピッチに立った。最初はサポーターの方々から叱られると思っていた。このチームを捨ててイングランドに行ってしまう。しかもシーズン途中の大事な時期にだ。『ふざけんなよ』、『さっさと出ていけ』。罵声は覚悟していたのに、サポーターの方々はこう言って背中を押してくれた。

「頑張ってこいよ!」

「母国で君の力を見せ付けてくれ!」

「イングランドで活躍して、いつか必ず、ここに帰ってきてね」

こんな優しい言葉を掛けてもらえるなんて思ってもいなかった。有り難くて、有り難くて、涙が止まらなかった。

今でもあの時のサポーターの言葉が心の中に住んでいる。だから思う。必ず、自分の力がピークの時にレッズへ帰る。

自らのピークがいつなのか、それは分からない。それは今かもしれないし、もしかしたら35歳になってからかもしれない。自分の力が劣っているかどうかは客観的な判断に委ねるしかない。でも今、自分のサッカー人生は充実しているし、その中で、レッズは危機的な状況を迎えている。

皆と共に。

思えば、レッズに在籍していた時はタイトルをひとつしか取れなかった。アジア・チャンピオンズリーグ。厳しい環境の中でアジアの強豪と戦い頂点に辿りつけたことは大きな誇りだ。その後に出場したクラブワールドカップでも、ACミランと対戦して世界との距離を図ることが出来た。

でも、率直な感想として、自分の中ではACLを純粋なタイトルとは認識していない。どこかお祭り的要素を感じるものより、やはり自分にとっては国内タイトルの方が意義深く感じる。ナビスコカップ、天皇杯、そしてJリーグ。

ナビスコカップはジェフ千葉在籍時代に獲得した。でもJリーグタイトルは、まだ自分の人生で一回も手にしていない。だからこそ、浦和レッズでJリーグを獲りたい。皆と共に――。

レスター・シティとの契約解除が発表されてから、レスターサポーターの間からは阿部に対する惜別の言葉が並んだ。

「Can’t believe Yuki Abe has gone! Was a great little player」

「Yuki Abe is going back to Japan. Sad times! He was ace.」

「Good luck to Yuki Abe. Sad to hear that he’ll be leaving. Thought that he always gave his all on the pitch.」

レスターサポーターも、阿部のプレーをしっかりと見つめていた。常に全力を出し切りピッチに突っ伏す彼の思いを、感じてくれていた。だからこそ、わずか18か月間の冒険の中でも、レスターサポーターは彼の存在を認め、全幅の信頼を寄せてくれた。

みんなへの恩返しになると思うから

これまでも、そしてこれからも、阿部のスタイルは変わらない。かつての阿部のチームメイトで、相棒として中盤でプレーした細貝萌(アウグスブルク/ドイツ)は、偉大なる先輩のことをこう評していた。

「ある試合で、阿部さんは何度もゴールを狙って相手陣内に突っ込んだり、自陣に戻って相手カウンターを止めたりしていた。でもあまりにも出入りの激しい試合で、後半途中から阿部さんが肩を揺らしてゼイゼイ言い始めたんです。それで『キツイ、キツイ』って。阿部さん大丈夫かなって思ったんですけど、その瞬間、相手の攻撃を受けた時、誰よりも早く戻って自分たちのゴール前で必死にクリアしたのは阿部さんだった。どんなにキツくても、辛くても、阿部さんは足を止めない。その姿勢は今でも僕の中の鑑になっている」

様々な感情が交錯する中、阿部は浦和レッズへの帰還を決めた。そこには揺るぎない信念と、このクラブに対する想いがある。

「あのサポーターの声援に支えられてプレーする。これ以上の喜びはないです。最近はレッズの人気低迷が叫ばれているらしいけど、これからもレッズサポーターがいなくなることなんてないです。僕ら選手が結果を残せば、必ずサポーターは支えてくれる。だから僕ら選手は全力で試合に臨んで、勝利を目指さなきゃならない。それは当然のことです。

最近は選手の間でもレッズの人気が落ちているんですよね。それでレッズに来たくないと思う人もいるんですってね。でも多分、その選手はあのスタジアムで、仲間の大声援を受けながらプレーをしたことがないから、このチームの良さが分かんないんだと思います。あのサポートを受けたら、どんな選手だって思いが深まるはず。だって僕がそうだから。

僕は2010年9月5日の駒場でサポーターと約束したんです。いつか必ず浦和へ帰るって。だから僕は今回、その約束を果たすために浦和へ帰ります。そして僕は、浦和レッズでJリーグ優勝を勝ち取るために闘います。それが僕に唯一出来る、チームを支えてくれるみんなへの恩返しになると思うから」

情熱のプレーヤーは、このチームを再生させるために、仲間と喜びを分かち合うために、自らが望んで、浦和に帰る。

 

 

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