日々雑感【選手コラム】ー宇賀神友弥『咲き誇る花』

皆が支えてくれた

 絶対に諦めない気持ちが、自らをここまで引き上げてきた。でも、それは彼ひとりの力で成し得たものじゃない。恩師、ライバル、同僚、家族。全ての者が後押ししてくれたからこそ、今の自分がある。それを理解しているから、宇賀神友弥はどこまでも強くなれる。

 埼玉県戸田市。宇賀神は両親と男ばかり3兄弟の次男として生を受けた。3歳上の兄がサッカーをしていたから自然にボールを蹴るようになったが、その兄は小学校5年でサッカーを辞めてしまった。今でも兄からは「お前が取材を受けたら、俺がお前にサッカーを教えたと言っておけ」と言われている。兄がいなかったらサッカーをしていなかったかもしれないから、その言葉に従っている。本当にそうだと思うから。 

 地元の戸田南FCに入団してからは徹底的に体力を強化された。当時のクラブチームには珍しくフィジカルコーチが付いていたから、他のチームの選手よりもガンガン走らされてとてもキツかったらしい。でも、そのおかげで彼は闘う基礎体力を備えられた。平凡な選手だと認識していた彼は、その体力を武器に前へ進もうと思った。

 小学校時代の宇賀神はナショナルトレセンにも県トレセンにも選抜されず、戸田市選抜に入るのが関の山だった。だから埼玉県内で屈指の選手が集まる浦和レッズジュニアユースのセレクションを受けたのは単なる力試しで、当初は他のクラブへ入団する心積もりだったという。しかし意外にも合格してしまい、喜び勇んでチームに加わったら大変なことになった。他の仲間とのレベルが違い過ぎて驚愕した彼はしかし、後にもっと凄い選手と出会う。それは当時狭山JrユースFCというチームに在籍していた西澤代志也(栃木)という選手だった。埼玉県トレセンの対抗戦で彼と対戦した時に身体をガツンと当てられ、上から目線で『大丈夫?』と言われたことを今でも覚えている。

「漫画みたいなシーンでしょ(笑)」(本人談)。

 その後、西澤とは浦和ユースで邂逅を果たしてチームメイトとなり、宇賀神は右サイドのポジション争いで西澤に敗れて左サイドへコンバートされている。ただ本人は後に「この時に代志也にポジションを奪われて左サイドでプレーしていなかったら左足の練習なんてしていなかった。左でのプレーを経験できたことで自分のプレースタイルの幅が広がったと思うから、それは代志也のおかげですよね」とも振り返っている。

 宇賀神はユースからプロ入りできなければサッカーを辞めようと思っていた。数年前に両親が離婚して父親に引き取られていた彼は家庭の経済環境が厳しいことを把握していたし、加えて当時父親は再婚を予定していた。また彼の実力ではプロどころか実業団クラブへの入団も難しいと判断され、きっぱりサッカーから離れて一般企業へ就職する選択肢しかなかった。それでも彼は夢を諦め切れなかった。決死の思いで本心を吐露して大学への進学を熱望した時、父親の再婚相手である義母がこう声を掛けたという。

「家庭の経済状況はとても厳しいけれども、私が働いた給料を全部つぎ込んでもいいから、あなたは大学に行きなさい。私はあなたのために働くから」

 ご両親が彼に注いだ愛情がなければ、今の宇賀神は存在しない。

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