【無料掲載】日々雑感ー眩い光[鈴木啓太引退試合に寄せて]

永遠の旅路

 穏やかで心に染みる引退試合だった。

 彼のために駆けつけた現役選手、元選手、監督、コーチ、スタッフ、そしてサポーターたち。本人自身が『同窓会』と位置づけ、皆が様々な思いを胸に抱いてスタジアムへ集った。誰もが微笑んでいた。声をからしていた。少しだけ泣いていた。感傷的な気分はあったけれども、前へ進む勇気を持てた。

 チャレンジする人だ。プロにまで上り詰めたのだから競技を極めているはずなのに、「周りに比べれば、自分は下手くそ」と言い切ってサポート役に徹した。誤解してはならない。彼は黒子をとても重要視していて、サッカーになくてはならない存在だと認識していた。この崇高で意義深い役割を極める。誰もが成し得ないことを、彼は不断の努力で全うし続けた。

 様々なことに関心を抱く人だ。好奇心の塊で、それを隠そうともしなかった。ファッションや音楽はもちろん、本を熟読して叡智を養った。サッカー選手のブランド価値を高めるために率先して先頭に立ったし、その答えを得て熟慮し、咀嚼し、次に生かすことのできる聡明な人だった。

 表向きは冷静沈着だが、内に熱い炎を宿す人だ。有名過ぎる話だが、2004年のアテネオリンピック本大会に出場するU-23日本代表の選考に漏れたときは2日後のヤマザキナビスコカップで力を尽くして戦い、浦和駒場スタジアムの大サポーターに対して、「僕には帰る場所がある」と言い切った。その時の思いを聞いたら、「それが素直な気持ちだもん。オリンピックよりも浦和で戦える意義を感じられたことが、俺の生きていく糧になった」と言った。クールな顔立ちなのに、その言葉にはいつも情熱が溢れていた。

 未来を見据える人だ。将来の夢は「人生を楽しめるおじいちゃんになること」。憧れの人は「高田純次さん」と言うが、あまりに共通点が見出だせないので怪訝な顔をすると、「俺もまだまだ努力が必要だな」と、明後日の方向を向いて独り納得している。確信犯なのか、それとも純粋なのか。時々、その本心が分からなくなる。

 ただ将来へのビジョンを描くという意味では、現役を退いた今の方が野心に溢れている。引退試合のセレモニーでは「選手としての夢のような時間は終わったが、愛するサッカーから学んだ情熱を胸に、次のステージに進みたい」と言った。彼らしい言葉だ。そういえば、彼は現役の時からずっと、「今よりもずっと良い人生を送る。将来を楽しみにしている。日々を楽しみにしたまま人生を終えたい」と言っていた。その信念は一切揺らいでいないし、その心は今も希望の光で満ちている。

 彼の言葉には人生訓が散りばめられている。イビチャ・オシムが評した『水を運ぶ男』という言葉は、そのまま彼の人格を表している。彼の内面を見抜き、ひとりの人間として評価してくれる恩師と出会えたことはかけがえのない財産になったが、それは彼の人柄が賢人を引き寄せた結果だ。人は共鳴し合うことで結びつくと、彼は多くの人に教えてくれた。

 2017年7月17日。埼玉スタジアム北ゴール裏に駆け上がった彼は、素晴らしい仲間たちの前でこう言った。

「時代は移り変わる。選手も変わる。クラブのスタッフも変わる。でも、サポーターは変わらない。クラブは選手のものでもないし、クラブスタッフのものでもない、サポーターのものだよ」

 この境地に辿り着くまでには紆余曲折があったはずだ。彼だって苦悩する時期はあったし、苛立ちを露わにすることもあった。でも、その想いを手にした時点で、彼ら、彼女らは確かに共鳴した。共振した。心を通じ合わせた。寄り添った。同じ時代を生きた者同士だけでなく、これから生を受ける者たちも、志を同じくする者は永遠の仲間になった。

 前向きに未来を見据え、常に挑戦し続ける。鈴木啓太が示した道筋には、今でも眩い明かりが灯っている。

 埼玉スタジアムを照らしたあの夕陽は綺麗だった。とてもとても綺麗だった。

【浦研プラス読者の皆様へお知らせ】

 僕も啓太を見習って、新たな挑戦をします。この『浦研プラス』も、もっともっと皆さんと寄り添えるよう、前向きなリニューアルを致します。まずは2017年8月頭に、皆様へ向けてご報告を致したいと思います。しばしの間、お待ちください。

島崎英純

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