【コラム】日々雑感ー長澤和輝『極限で輝く』

 

戸惑いの冬

 2017年1月、そして2月の沖縄キャンプ。ジェフユナイテッド千葉への期限付き移籍から浦和レッズへ帰還したばかりの長澤和輝は戸惑いの顔を浮かべているように見えた。もとよりレンタルバックといっても、彼の場合は2014年から2年間在籍したドイツ・ブンデスリーガ1部の1FCケルンから浦和へ完全移籍した直後に千葉へ期限付き移籍したから、浦和でのプロ生活は初めてのことだった。同年代の高木俊幸、菊池大介やケルン時代からの知り合いである槙野智章などの知り合いはいたものの、このときの彼は、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督体制のチームでどうやって自らの力を還元させようかと思案していたに違いない。

 実は、長澤はペトロヴィッチ前監督体制2年目の2013年、彼が専修大学4年生のときに浦和の強化キャンプに参加したことがある。複数のJリーグクラブを視察する中での一環だったが、そのときの彼はトレーニングマッチでペトロヴィッチ監督が採用する3-4-2-1システムの中で肝と称されるシャドーのポジションを任されていた。後ろ向きで味方ボールを受けてフリックパス、もしくは反転してドリブル突破など、シャドーに求められる難しいタスクをこともなげに実行する彼のプレーはすぐさま浦和強化部の目に留まり、来シーズンの新卒補強リストの最上位にランクされたと聞く。しかし、その後、長澤は横浜F・マリノスの強化指定選手となってJリーグデビューを飾り、年末には1FCケルンのオファーを受けて海外での挑戦を決意する。

 当時の長澤のプレースタイルは間違いなくシャドー適性があり、そのスキルはプロの舞台で十分通じるとも感じた。だからこそ、今季浦和へ”正式加入”した彼が勝負すべきポジションは当然シャドーだとも思っていた。昨季の千葉ではボランチとしてチームを支えて41試合出場と実績を残したが、それでも心の残像には、あの2013年初頭のキャンプでの彼のプレーが浮かんでいた。

 だが、ペトロヴィッチ前監督が長澤に与えたポジションはボランチだった。前体制のボランチは特殊な役割を課せられていて、後方でのビルドアップ、攻守の連結、そしてときに最終局面での守備と、多岐に渡るスキルを求められ、それに適合する者として阿部勇樹、柏木陽介、青木拓矢の3人がファースト・プライオリティとして認識されていた。ペトロヴィッチ監督はそこに長澤、そして同じく今季ファジアーノ岡山からレンタルバックした矢島慎也を加えさせてチーム内競争及び世代交代を目論んだ。

 しかしキャンプでの長澤は、そのタスクを十分にこなせずに苦悩する。特に彼が苦しんだのが20、30メートルのミドルパスを正確に蹴ってサイドチェンジ、もしくは前方へフィードパスを送るタスクだった。もちろん彼には十分な基礎技術が備わっているはずだが、阿部や柏木、青木、またはバックラインから森脇良太や遠藤航が実行するようなミドルパスを蹴れず、そのほとんどがサイドライン、もしくはゴールラインを越えていった。

 また長澤は天皇杯などで指揮官の命を受けてバックラインの一角を任されることもあった。彼のフィジカル能力が見込まれたのか、はたまたストッパーの適性を見出されたのかは分からない。しかし前体制のストッパーもまた特殊なタスクを負っていて、ポジショニングなどに混乱した長澤は十分なパフォーマンスを発揮できず、ますます自己のストロングポイントを見失っているように見えた。

『これは難しい』。

 それが筆者が抱いた当時の率直な感想だった。

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