【大好評連載記念! 特別無料掲載】この街ー第5回『@2002 駒場』

■『この街』ー主な登場人物■

”オレ”ー1979年生まれ。静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。2002年に大学を卒業してJリーグクラブへ加入したプロサッカー選手。主なポジションは左右のサイドアタッカー、サイドバック。

”ヨースケ”ー1979年生まれ。静岡県浜松市出身。プロサッカー選手。”オレ”の高校時代の同級生にして親友。高校卒業後の1998年にJリーグクラブへ加入するも、その後は様々なチームでプレーする。主なポジションはセンターバック。

”シンジ”もしくは”オノちゃん”ー1979年生まれ。静岡県沼津市出身。プロサッカー選手。”オレ”の高校時代の同級生にして親友。幼少の頃から『天才』と称される。物語進行当時はオランダ・ロッテルダムを本拠とする『フェイエノールト・ロッテルダム』に所属している。主なポシジョンはボランチ、トップ下。

”ツボ”ー1979年生まれ。東京都町田市出身。プロサッカー選手。”オレ”がJリーグクラブへ加入したときの新卒同期。身体能力が高く、プロ初年度にリーグ戦全試合先発フル出場を果たしたチームの出世頭。主なポジションはセンターバック、ストッパー。

”狸の指揮官”ー元日本代表監督で、1994年のアメリカワールドカップ・アジア最終予選でチームを率いるも、最終戦のイラク代表戦でドローに終わり、日本初のワールドカップ出場を逃した。その後、2002年に”オレ”が在籍するクラブの指揮官に就任。懇切丁寧な指導で選手と真正面から向き合い、後にクラブ史上初となるリーグカップタイトルを獲得する。

”ヤマダ”ー静岡県藤枝市出身。1994年に高卒で”オレ”のチームに加入後、すぐにレギュラーを獲得して輝かしいプロキャリアを築き上げた選手。チームの象徴とも言える存在だが、純粋無垢な『天才』とも称され、唯我独尊で突き進む稀有なキャラクター。”オレ”とはサイドのポジションで被るが、ヤマダ自身はサイドでのプレーをそれほど好んでいない。

■【浦研プラスお薦め!】『この街』に登場する”街”、”モノ”、”場所”の紹介■

『さいたま市駒場スタジアム(現・浦和駒場スタジアム)』

1967年に開場した、埼玉県さいたま市浦和区の駒場運動公園内にある陸上競技場及び球技場。1993年のJリーグ開幕から”オレ”の所属するチームがホームスタジアムとし(1993ナビスコカップ、1994Nicosシリーズ、1995サントリーシリーズを除く)、年間ホームゲームを10試合程度開催した。収容人数が21,500人と小規模だったため、多くのサポーターを有するチームの試合は『プラチナチケット』と化し、成績は低迷していたものの、常にスタンドがフルハウスで埋まり、独特の熱狂的な空間を生み出した。

『埼玉スタジアム2002』

2002年の日韓ワールドカップの開催地のひとつとして、2001年に建立。こけら落としは2001年10月13日のJリーグ・浦和レッズvs横浜F・マリノスで、この試合の観客60,553人は当時のJリーグ最多記録を樹立した。日本最大のサッカー専用スタジアムとして、現在は日本代表のホームゲームも開催されている。2005年・2009年・2013年・2016年にはJリーグアウォーズでベストピッチ賞を受賞した。

『鹿児島県指宿市』

鹿児島県薩摩半島の南端にある市。豊富な湯水が湧き出る温泉地として栄え、海岸線の地熱を利用した『砂蒸し温泉』が有名。当時、”オレ”が所属するチームがキャンプ地としていた。近隣には”薩摩富士”と称される開聞岳がそびえ、鰻池などの景勝地もある。

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