日々雑感ー森脇良太『闘い続けてくれた人』

彼が抱いた想い

 初めて会ったときに『よく喋る人だな』と思ったのは皆さんと同じ。本人のサッカー人生を綴る某雑誌のインタビュー取材では2時間ぶっ通しで話し続け、いつまで経ってもクラブハウス内のロッカールームに帰ってこない彼を心配して槙野智章がインタビュールームまで迎えに来たことがある。1歳歳下の槙野は彼のことを「モリくん」と呼んでいて、本人は後輩がその場を去った後に「あれでもマキは先輩に気を遣うタイプなんですよ。あっ、でも(柏木)陽介は全然僕を歳上扱いしないけど」と言い、テヘッと舌を出して高らかに笑っていた。

 たくさん話すが回りくどいので内容は深くない。でも、彼はいつだって他者を敬い、どこまでも思慮深かった。

 でも、ピッチに立つと性格が豹変する。敵には容赦なく食って掛かるし、審判団にも手厳しい。本人も感情を制御できないことは自覚していて、大抵試合が終わった後は自らの態度に辟易している。

 チーム内で最も仲が良かったのは興梠慎三だった。同学年で同い年。ユース年代で対戦経験があって、興梠はその当時から「うるさい奴がいる」と思っていたそうだ。彼はサンフレッチェ広島から、興梠は鹿島アントラーズから、共に2013年に浦和へやってきた。興梠は親友が浦和加入後初ゴールを決めたときに無関心を装った表情で彼が狂乱する姿を見つめていたが、内心では飛び上がらんばかりに喜んでいたらしい。ちなみにこのときの彼は当時の指揮官であるミハイロ・ペトロヴィッチ監督へ向かって『ミシャ~!』と絶叫していた。おそらく恩師に対して、彼なりに感謝の念を伝えたかったのだろうと思う。

 個人的な話をすると、彼は必ず僕の名前を呼んでくれた。いつも大きな声を発して近づいてきて、優しく僕の肩に手を置いて話しかけてくれた。大きな眼を見開きながら、まずはこちらの話を頷きながら聞き、ときに『そこまで見てくださっていたんですか?』、『僕のプレーを褒めてくれて、ありがとうございます』、または『そう言って僕のダメなところも指摘して下さると、今後に生かすことができます』と言って深く頭を下げる姿が印象的だった。

 表向きは軽い調子だが、その実情は違うと思っている。彼の本心を始めて知ったのは2013年5月、タイ・バンコクでムアントン・ユナイテッドと対戦して勝利するも、広州恒大、全北現代の後塵を拝してグループステージ敗退が決まった直後、スタジアム脇の薄暗いミックスゾーンで悔恨の言葉を聞いたときだった。

 グループステージ最終節はムアントンvs浦和、そして広州恒大vs全北現代のカードだった。最終節前にグループステージ1位、2位を維持していた広州と全北はドローで突破できる状況で、互いに危ない橋を渡る可能性は低かった。案の定、ゲームはスコアレスドローで終了。結末をある程度想定していた浦和の選手たちはムアントン戦を1-0で制した後に冷静さを保ちながら取材に臨んでいたが、彼だけは眼を真っ赤に腫らしながら「サポーターの期待に応えられなくて、監督の思いに応えられなくて、申し訳ない……」と言葉を振り絞っていた。野外に設置されたミックスゾーンで、浦和サポーターが選手の姿を見つけて労いの言葉を投げかけると、彼は下を向いて嗚咽を漏らした。その責任を一身に背負う姿に、プロサッカー選手としての矜持を見た思いがした。

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