浦レポ by 浦和フットボール通信

「ミシャ体制4年間を振り返る良い機会になった」 エルゴラ浦和担当記者・菊地正典さんインタビュー(2016/2/26)

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サッカー専門新聞『エルゴラッソ』の浦和レッズ担当としてもお馴染みの菊地正典記者が、ELGOLAZO BOOKから『浦和レッズ変革の四年 ~サッカー新聞エルゴラッソ浦和番記者が見たミシャレッズの1442日』を出版した。出版にあたって、菊地記者に番記者として浦和レッズを取材してきたこれまでを振り返ると共に本の見どころをお聞きした。interview:椛沢佑一(本誌編集長)

学生時代はGKをプレーしていた。

椛沢:今まで、色々な現場で交流はあったのですが、浦和フットボール通信に初登場の菊地さんです。どうぞ、宜しくお願いします。

菊地:いつもは記者として聞く側ですが、自分のことを聞かれる側は、実は初めてです。今日は宜しくお願いします。

椛沢:菊地さんは、埼玉大学出身ということで、学生時代は浦和にいらっしゃったのですね。こちらに出てきて、浦和は盛り上がっている感じはしました?

菊地:福島から出てきて、与野に住んでました。就職してからも勤務地が池袋だったので、大学から出てきて、埼玉に10年住んでいましたね。学生時代は駒場に行ったりもしていました。2000年から2004年でしたので、大学1年生の時は、浦和レッズがJ2を闘っているシーズンでした。特別サッカーが好きという人でなくとも、埼玉出身の人はレッズが好きだったので、その部分でもサッカーの熱狂度というものを感じていましたね。住んでいる近くにも与野であっても普通に遠路沿いにレッズの旗があったりしたので、盛り上がっている感じがありましたね。

椛沢:菊地さん自身もサッカーをプレイされていたのでしょうか?

菊地:小学生の時から高校の時までサッカーをやっていました。当時は、福島県のレベルが低かったので、僕らの頃は高校サッカー選手権でも何年か一度に全国大会で1勝するかどうかというレベルでした。

椛沢:ちなみにポジションはどこだったのでしょうか?

菊地:ずっとGKでした。そもそもサッカーを始めた時に全く出来なくて、これでは、つまらないと思って一度、辞めたんです。しかし90年のTOYOTAカップで、フリット、ファン・バステン、ライカートのオランダトリオに、バレージ、マルディー二とイタリア代表で構成されたスター軍団のACミランと、パラグアイのオリンピアの試合を見て、サッカーは面白い、自分もやりたいと思ってボールを蹴り始めたんですが、やっぱり出来なくて、たまたまGKをやった時にこっちの方が面白いと思って、そのままGKになりました。小6で170センチあったので、GKに向いていたのかもしれません。自分では185センチくらいになる予定でしたが、そこからあまり伸びませんでした(苦笑)

椛沢:よくGKの見方は難しいと言いますよね。なかなかGKのプレーの何が良いか悪いのかという評論がプレーをしたことがないと出来ないと言います。そういう意味でGKの存在は気になりますか?

菊地:気になりますね。GKに対しては特にリスペクトがあるので、フィールドの選手はメディアとして言い切れない所があるかもしれないですが、GKに関しては、人が分からない良さも分かる所があるかもしれないですね。

本の執筆でミシャ体制4年間を振り返る良い機会になった

椛沢:ミシャ体制と同じタイミングでエルゴラッソの浦和担当番記者になったそうですね。

菊地:全く同じタイミングですね。その前は横浜FCの担当をしていました。その担当を一年やった時に、当時浦和担当だった古屋さんが外れることになって、たまたま僕に白羽の矢が立ってやることになりました。メディアという形では6、7年目でしたが、クラブの担当記者としては、まだ2年目でしたので、そんな私がいきなりレッズの担当で大丈夫かと不安になり、少し考えてからお受けさせて頂きました。

椛沢:そして今年、ELGOLAZO BOOKの第1弾として『浦和レッズ変革の四年 ~サッカー新聞エルゴラッソ浦和番記者が見たミシャレッズの1442日』を出版されました。

菊地:これは完全に私の力ではなくレッズの力ですけどね(笑)。本は全て書下ろしになっています。試合の描写も当時の新聞の原稿を参考にしてはいますけども、コピペはしていないので、本当の書下ろしで作っています。色々と資料を見直したりして、その作業は大変でしたね。

椛沢:本を拝見すると、ここまでのミシャ体制4年間がしっかり振り返られている内容になっているので、菊地さん自身もこの4年間を振り返るには、良い機会だったのではないでしょうか。

菊地:まさに!自分でもその感じはすごくありましたから、読者のみなさんにも、そのように思って頂けるのではないかと思います。それと書いていてレッズの時を振り返りながら、レッズと関係ない自分のことをあの時、あんなことがあったなと思ったことが自分の中で面白かったので、サポーターの方もレッズのあの時に、自分が応援していた時の思い出などとリンクする部分があるのではないかと思います。4年全体をしっかりと振り返れたということが、レッズとしてもそうですし、自分の浦和担当としてもそうですし、そこが一番大きかったですね。通して読んでもらえると一番かなと思います。書いている時はとにかく死にそうになりながら書きました(笑)

椛沢:なかなかエルゴラの紙面では、スペースの関係もあって物足りないこともあると思うので、この本で菊地ワールドを存分に楽しめるのではないでしょうか。

菊地:ライターとしては限られた中で表現する能力が必要ではありますけど、こういうことを書きたいというのはありますからね。そういう部分で、今回の本では基本的に文字数を考えずに一気に書いて、そこから編集をしたので、言いたいことはすべて言えたと思いますね。

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ミシャサッカーとは

椛沢:本も、ミシャ体制を振り返る内容になっていますが、改めて振り返ってみて、ミシャサッカーの魅力は何だと思いますか。

菊地:ミシャさんのサッカーは独特ではありますよね。守備と攻撃で形が違ったり、攻撃の際に5人が前に張ったりする。それが攻撃的どうかなのかはシーズンによって違いがありますけど、前に人数をかけてコンビネーションで崩していくサッカーは他のチームにはない面白い部分だと思います。

椛沢:パターンにはめる監督だと言われてますが、その部分はどうでしょうか。

菊地:パターン練習はあまりやらないですね。ゲーム形式の中で、こうやって、こういう時はこう動くんだという指示を出している感じですね。パターン練習はやらずに、オートマチックに動けるようになっているのはすごいです。

椛沢:新しい選手がなかなか馴染むのが難しいのは、パターン練習ではないからですかね。パターンであれば、それに嵌めるだけで良いけれども状況にあわせたオートマチック性を出そうとすると、相当な修練を積む必要がありそうです。

菊地:本当だったら、ここに行かないといけないのに、行けないとなると難しいかもしれないですね。いくらパターン練習をやっても実践の場では、その状況にはならないのだから、やっても意味がないというミシャさんの考えは正しいかもしれないですね。あの指導力は、日本人ではなかなかないもの。日本人はパターン練習をやって、ゲームはフリーでやらせてという感じが多い。ミシャの場合はゲームの中で細かく指導を入れたりする。その違いはありますね。

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