浦レポ by 浦和フットボール通信

王国対決で日本の頂点へ!アジアへの挑戦切符を勝ち取る【06年天皇杯・清水戦/タイトルゲームプレイバック】

(Report by 河合貴子)

初のアジア出場権を手繰り寄せた

当時の取材のノートの1ページ目に『アジアへの挑戦切符』と大きく力強く赤字で書かれていた。(2008年度まで日本のACL出場権は、わずか2枠で日本のクラブが前年度ACL優勝した場合のみ優勝クラブにも出場権があり3枠となる。基本は、前年のリーグ優勝と前々年の天皇杯優勝。2006年のACL出場は、2005年度にリーグ優勝したG大阪と2004年度に天皇杯優勝した東京V)

2006年1月1日、どんよりとした雲が上空を覆いつくし気温6℃と凍える寒さを吹き払うように「行くぞ!」と気迫のこもった雄叫びを上げた浦和の選手たちは、バスを降りて浦和レッズとして初めての天皇杯決勝の舞台へと向かった。前身の三菱重工サッカー部から数えて、実に25年ぶりの天皇杯決勝であった。その舞台は、浦和が日本一となりアジアから世界へと羽ばたく礎であった。

2004年シーズンの堅い守備と多彩な攻撃で常勝軍団に名乗りを上げた浦和だったが、2005年シーズンの途中で得点源であったエメルソン選手がアル・サッドSC(カタールリーグ)へ移籍しリーグ戦は苦戦をしいられることになってしまった。

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