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結合双生児だったドクさんに独占インタビュー! ベトナム障害者スポーツの現状などについて語る

ベトナム戦争時に米軍が散布した枯葉剤の影響により、結合双生児として誕生した「ベトちゃんドクちゃん」。分離手術から19年後の2007年に、兄のベトさんは亡くなったが、弟のドクさんはホーチミン市で今も元気に暮らしている。日本から派遣された医師団が分離手術を支援したことや、その後も慈善活動などで頻繁に日本を訪れていることから、「今も日本とは強い絆で結ばれている」と語るドクさんだが、実は大のサッカー好きとして有名。今年1月のAFC U-23選手権でベトナムが快進撃を続ける中で、ベトナム紙がドクさんの単独インタビューを掲載したほど。今回はベトナムフットボールダイジェスト運営者が、ドクさんの現在の暮らしや障害者スポーツの現状などについて話を聞いた。
※この記事はフリーペーパー「VINABOO」2018年4月号のインタビューを転載したものです。

ベトちゃんドクちゃんのその後

Q: 先日、37 歳のお誕生日を迎えたとのことで、おめでとうございます。実は私もドクさんと同い年なんです。私は 2005 年にホーチミンに来たのですが、当時ベトナムのことはあまり知りませんでした。ベトナムについて思い浮かぶことといえば、ベトナム戦争、枯葉剤の被害、そして、ベトちゃんドクちゃん。子供の頃にニュースで見ていたドクさんに、こうして会うのは不思議な気分です。

ドク「私自身、日本の方々とは、とても縁があると感じています。こちらこそお会いできて、嬉しいです。」

Q: ベトナムと日本の架け橋として活躍されているドクさんですが、昨年は天皇皇后両陛下が訪越された際に面会されました。どんなお話をされたのですか?

ドク「平和な世界、戦争が起こらない世界が実現しますように、というメッセージをお伝えしました。そして、両陛下のご健康を心よりお祈りしますと話しました。」

Q: ツーズー病院で行われた分離手術は、日本から派遣された医師団が支援したと聞いています。当時は僅か 7 歳でしたが、手術後初めて一人になった時のことを覚えていますか?

ドク「体が繋がっていたときは日常生活が大変でしたから、これからは自立した生活ができるということで、清々しい気持ちだったのを覚えています。」

Q: その後は、治療を受けるために、1 年以上も日本に住んだことがあるとか。今でもよく日本に行かれるのですか?

ドク「これまでに 46 回、日本に行っています。日本全国の色々なところに行きました。昨年は体調が悪くて行けなかったのですが、今年は広島国際大学の客員教授として、また行くことになると思います。大学では、ベトナム戦争や平和への祈り、障害者の心などについて講義しています。」

Q: 日本に対する印象を聞かせてください。

ドク「美しい国、おもてなしの心を持つ国というイメージです。」

Q: 現在は、かつての入院先でもあったツーズー病院で働かれているそうですが、どんな仕事を担当していますか?他にも、いろいろな活動をされていると聞いていますが、具体的には、どのようなことをされているのでしょうか?

ドク「病院では事務を担当しています。その他には、ホーチミン市越日友好協会の執行委員会、慈善活動団体“美しい世界のために”(Vì MộtThế Giới Đẹp Tươi)の代表者も務めていて、障害者や貧困層の支援活動をしています。」

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