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ベトナムサッカー回顧録、戦争終結後の南北統一親善試合で決めた歴史的なゴール

“歴史に名を刻む神聖なファーストゴール”


-南北統一から1年後、南北の代表チームの親善試合が初めて行われました。試合の雰囲気はどうでしたか?

「1976年11月だった。ベトナム労働組合にホーチミン市労働組合から親善試合を申し込む連絡があった。労働組合は、私が所属していた鉄道総局のチームを北部代表に選んだ。南部代表はカン・サイゴン(サイゴン・ポート)だ。私もチームメイトも歴史的な試合を前に大変な栄誉とともに、大きなプレッシャーを感じていた。食事ものどを通らず、夜も眠れないほどだった。外国のチームと試合するより、よほど特別なことだった。南北は数十年もの間にわたって分断されていたのだから。我々はそんな分断の時代を経て、初めて南部の人々の前で試合をすることになったのだ。」

「ホーチミン市のタンソンニャット空港に降り立つと、対戦相手の選手たちや大勢のサイゴンの人々が我々を歓迎して迎えてくれた。これから試合するというのに、どちらも幸せそうな表情だった。長い間ずっと離れ離れになっていた兄弟や親友と再会できたかのような気分だった。」

-サイゴン(現ホーチミン市)の地を踏んだ最初の感想は?

「トンニャット・スタジアム(統一スタジアム)に初めて行った時のことを一番鮮明に覚えている。当時はまだ共和国スタジアムという名前だった。練習や試合でピッチに行くと、観客たちが選手の足や太ももに触ろうとしてくるのだ。観客たちは北部から来た我々を見て“何てことだ!北部の選手たちは強そうで、ハンサムで、体の何と大きいことか!きっと北部の勝ちだ!”と話した。それを聞いた我々は笑いながら“僕たちは北部にいて食事も遊びもサッカーの試合も出来た。この試合でチームは勝敗にこだわっていない。重要なことは南北が一致団結すること。この試合は兄弟のためにある”と答えた。」

-それで、その歴史的な試合については、どのような印象が残っていますか?

「カン・サイゴンとの試合は夜に行われたが、昼頃には既に大勢の観客でスタジアムが埋まっていた。スタジアムに入れない人は木によじ登り、観客席に入りきらなかった人たちはピッチサイドに降りてきて試合が始まるのを待っていた。我々はトレーニングや試合のために東ヨーロッパに行ったことがあったが、あんなに大勢の観客を見たことはなかった。当時は試合前に国歌を歌うセレモニーなどは決められていなかった。両チームが入場して握手を交わて花束を交換し、キックオフの時を迎えた。カン・サイゴンは鉄壁の守備を誇るファム・フィン・タム・ラン氏がいて、だれも突破できなかった。他にも速くて巧い選手が何人もいた。中盤でプレーしていた私は右サイドからのクロスを頭で合わせて、この試合で最初のゴールを決めた。2点目はレ・トゥイ・ハイ氏(元ベカメックス・ビンズオン監督)が見事なロングシュートを決めて鉄道総局チームが2-0で勝利した。」

-歴史的な試合で最初のゴールを決めたときの印象は?

「あれはとても神聖なゴールだった。大変な栄誉だ。なぜならたった一度きりのことで、誰もが出来ることではないのだから。私にとっては現役生活で最も印象に残っている出来事だ。ゴールを決めた後のこともはっきり覚えている。ゴールを決めた私は両手を広げて走り、ゴールを喜んだ。人生において特別な試合であり、それに関わった全ての人々にとって一生忘れられない試合だと思う。」

-ありがとうございました!

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