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レ・コン・ビン物語 “ベトナムの英雄”と呼ばれた男 第一回”“死神”は試合終了間際の89分…僕を生かすと決めた

レ・コン・ビンが自身の半生をつづった自伝『Phut 89(89分)』。ここには“ベトナムの英雄”と呼ばれた男の幼少期から現在までが記されている。国内最貧困地域の一つゲアン省で真っ黒になってボールを追いかけた少年時代、プロサッカー選手となり、人気歌手Thuy Tienと家庭を築くまで。自伝の中では、幼少期のことだけでなく、八百長や暴力などVリーグを取り巻く様々な問題についても赤裸々に語っている。出版社が発売を記念して、一部の項を公開。その内容を連載で紹介していく。

NXB Thế giới – Phương Nam Book

生後2週間で2度も死にかけた。
でも“死神”は試合終了間際の89分に、僕を生かすと決めたようだ。 

僕は19851210日にこの世に生を受けた。上には姉が2人、下には末っ子の妹がいる。母は神様が自分には男の子を生ませてくれないんじゃないかと思っていた。なぜならそれ以前に男の子2人を流産していたから。僕がお腹にいて、男の子だと分かった時、生まれてこなかった二人の兄のようになるのではないかと怖かったという。産声を聞いて、心底ほっとしたそうだ。父は運命が今回はツケを払ってくれたと言って、僕をCong Vinhと名付けた。ラストネームのVinh()は、栄光や栄誉という言葉に使われているほか、ゲアン省の省都Vinh市という意味もある。そこは、僕たちが住んでいたクインルー郡の田舎とは全く異なる煌びやかな都会だ。Vinhは人生を変えるための希望の言葉。両親は僕が生まれたことを家族全員にとって何かの“吉兆”だと考えた。

 でも、その“吉兆”は僅か3日後に“凶兆”に変わることになった。生まれたばかりの僕は、ひどい場合、生命に危険が及ぶ可能性があると言われる“てんかん”を患ってしまった。体が硬直してしまう病だ。叔母がお風呂に入れてくれた後も僕は体が真っ青で、母が僕を動かそうとしても、まるで丸太のように硬直して動かなかったという。幸運なことに、近所の人が病気を治す方法を教えてくれて、1週間も経たないうちにすっかり元気になった。僕の人生で最初の恩人だ。

 僕は生まれつきの喘息持ちだ。色々な治療を試してみたけど、完治しておらず、今でもしょっちゅう咳が出る。生後2週目で急性気管支炎になった僕を、母は慌てて田舎の診療所に担ぎ込んだ。医者に診てもらったとき、僕の体は冷え切っていて、顔色は真っ青だったという。危険な状態だったので、医者は豚用に使っていた大きな注射で気管支に直接抗生物質を注入した。とんでもない荒療治だったが、なんとか僕は息を吹き返した。生まれて2週間で2度も死にかけたが、死神は試合終了間際の“89分”に、僕を生かすと決めたようだ。

…続く

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