レ・コン・ビン物語 “ベトナムの英雄”と呼ばれた男 第13回 「もし」や「けど」でパリはボトルに入るだろう。
レ・コン・ビンが自身の半生をつづった自伝『Phut 89(89分)』。ここには“ベトナムの英雄”と呼ばれた男の幼少期から現在までが記されている。国内最貧困地域の一つゲアン省で真っ黒になってボールを追いかけた少年時代、プロサッカー選手となり、人気歌手Thuy Tienと家庭を築くまで。自伝の中では、幼少期のことだけでなく、八百長や暴力などVリーグを取り巻く様々な問題についても赤裸々に語っている。出版社が発売を記念して、一部の項を公開。その内容を連載で紹介していく。
破天荒なスーパースター「VQ10」と、その末路。
念願のソンラム・ゲアン(SLNA)のトップチームに昇格したとき、僕はまだ携帯電話を持っていなかったが、ファム・バン・クインは既にNOKIAの携帯電話を2台も持っていた。片手には“葉っぱ型”の電話、もう片方の手には“太っちょ”の電話。どちらも当時の人気機種だった。
当時のSLNAでは、ファム・バン・クインとグエン・フイ・ホアンがプロキャリアの全盛期を迎えていて絶対的なスターだった。ファム・バン・クインは華やかなストライカー、グエン・フイ・ホアンは屈強なセンターバックで、今で言うとセルヒオ・ラモスのような荒々しい闘将タイプだ。二人とも大変なお金持ちで、どこに行くのにもいつも女の子がくっついてきた。二人にとっては飛行機でサイゴン(ホーチミン市)に行くのも、まるで市場に行くのと同じぐらいの気軽さだった。ゲアン省と比べると、サイゴンには遊ぶ場所がたくさんある。
ゲアン省ではファム・バン・クインのお酒の強さは有名だった。お酒に関してもサッカーと同じぐらい強かった。僕は彼より1歳下なだけだが、トップチームに上がったばかりの駆け出しだったから、スター集団と遊びに行くことは許されなかった。スター集団に含まれるのは、ファム・バン・クイン、グエン・フイ・ホアン、レ・クオック・ブオン、レ・バン・チュオンなど。僕はお酒を飲まず、タバコも吸わなかったので、先輩のスター集団とはなかなか打ち解けられなかった。僕は誰とでも分け隔てなく接する性格だが、身体の方は刺激物に非常に敏感な性質だった。一応、お酒を飲むことは出来るが、美味だとは感じないし、お茶や果物ジュースの方が好きだ。パーティーの席ではお酒を飲まないといけないが、次の日は二日酔いでダウンだ。本当にお酒は好きになれない。
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