“ベトナムの英雄”レ・コン・ビン、「欧州時代最初の2か月は誰もパスをくれなかった。一方札幌では…」
ポルトガルと日本での挑戦を振り返る、海外挑戦を目指す後輩たちへの助言
記者:サッカーに話を戻します。先日、オランダ1部SCヘーレンフェーンに期限付き移籍していたDFドアン・バン・ハウが帰国しました。そのニュースを見て、過去の自分と重なる部分があったのでは?
CV:サッカーの本場ヨーロッパでプレーするのは、アジアでプレーするのとは全く違います。私が初めてヨーロッパに渡ったのは2009年、ポルトガル1部レイションイスSCに期限付き移籍したときのことです。当時の所属選手は殆どがブラジル人、アルゼンチン人、ポルトガル人。彼らは私を見て怪訝な表情を見せました。「アジア人のガキが何しに来たんだ?」という顔です。最初の2か月は殆どパスも回ってきませんでした。彼らは英語も話せず、英語がわかるのはオーストリア人のGK1人だけだったので、時々そのGKと話していました。それ以外のメンバーは一切私と口をきこうとしませんでした。
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