松沢呉一のビバノン・ライフ

米Appleのティム・クックCEOのカミングアウト・・・「へえ、それがどうかしたんか」になるための社会的意義 (松沢呉一) -2,844文字-

AppleのCEOがゲイだと名乗り出る意義

 

vivanon_sentenceこれは影響が大きいですわね。

 

AppleのクックCEO、同性愛者であることをカミングアウト

 米Appleのティム・クックCEOは10月30日(現地時間)、米Businessweekへの寄稿で、「私はゲイであることに誇りを持っている」とカミングアウトした。

 同氏はこれまで自分のプライバシーを極力守るようにしてきたが、それが自分が目指している他者への貢献の障害になっていることに気づき、カミングアウトを決意したという。

 Apple社内では同氏が同性愛者であることを知っている従業員が多数おり、それで接し方が変わることはないという。創造性とイノベーションを愛し、人々の違いを認めてこそ成功することを知る企業で働ける自分は幸運だが、すべての人々がこれほど幸運ではないと同氏は語る。

 「AppleのCEOがゲイだと知ることで、自分自身を受け入れられずにいる人が救われ、孤立していると感じている人が安らぎを得、差別と戦う人が励まされるなら、私のプライバシーを犠牲にする価値はある」(クック氏)

 

俳優やミュージシャンがカミングアウトすることにも当然意義はあるわけですけど、その数が増えてくると、世間一般に比して、芸能界は同性愛者が特別に多いと見なされてしまって、カミングアウトを重ねても、その先には行けない感もあります。「あの世界は特別だよね」で済まされる。

「美容師やデザイナーには同性愛者が多い」「芸術家には同性愛者が多い」との認識が定着すると、その範囲である限りは受け入れられます。「私はゲイ」「私はレズビアン」という個人の事実がジャンルに回収されてしまうと言いますか、ジャンル自体を特殊な扱いにすることで個を見ないようにしてしまうと言いますか、その外側を想像しなくなると言いますか。

トランスで言えば「ニューハーフにはトランスが多い」という当たり前の範囲からなお抜けられていなかったりします。あとはやっぱり芸能界。

 

「へえ」になるまでの過程

 

vivanon_sentenceこれをさらに重ねて、「警察官にはLBGTが多い」「教師にはLBGTが多い」「医療関係者にはLBGTが多い」「法曹界にはLBGTが多い」「スポーツ選手にはLBGTが多い」となっていけば、「オレの友だちにもLBGTがいるはず」「うちの親族にもLBGTがいるはず」「近所の人にもLBGTがいるはず」「どこにでもLBGTはいるはず」という想像が可能になりましょう。そこに至るためにはまだ「多い」と見なされていないジャンルでこそカミングアウトが有効です。

政治家にはいても、大企業の代表がカミングアウトしたケースはアメリカにおいても意外にないのではないか。日本ではアウティングされた例があるだけで、誰もが知るような企業の代表が自らカミングアウトした例を聞いたことがない。ちなみに私が記憶している例では、故・東郷建が某ドラッグストアの創業者がゲイであることをアウティングしています。

アップル社内で知っていた人がいるってことは、日常ではすでに話していたんでしょうし、であるなら、そのままでもとくに支障はなかったはずなのに、自分の立場からそうする意義や責務があると考えたのは素晴らしい。逆の人たちは多いんでしょうけどね。「自分がカミングアウトすると会社に迷惑をかける」とかって。

あくまで「私の周辺では」という限定つきですけど、日常においてはわざわざカミングアウトする意義が消えてきていると思います。普通の会話の中で普通にそのことを話せばいいだけになってきている。

一度もそのことを話したことがないのに、改まることなく、男が「この間、彼氏がさ」、女が「この間、彼女がさ」と話しだす。そのことを知らないと、「へえ」とは思いますが、「へえ」で終わり。

 

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