松沢呉一のビバノン・ライフ

続・チンコねえさん問題- [ビバノン循環湯 3] (松沢呉一) -3,484文字-

「ビバノン循環湯」の第三回は、15年ほど前に「URECCO」に書いたもの。あれからパルコ木下は離婚するなどの生活の変化がありつつ、芸術家として、また、美術学校の先生として、全国を飛び回っております。Facebookのアカウントはこちら

 

 

欲情は肉体に向くのか、ジェンダーに向くのか

 

vivanon_sentence拙著『えろえろ』に収録されていたと思うが、一時、知人たちの間で、「チンコねえさん」と「マンコにいさん」と「どっちとやりたいか」、あるいは「どっちとやれるか」という話で盛り上がったことがある。これは俗に「チンコねえさん問題」または「マンコにいさん問題」と呼ばれる。

21M87TXEM2L始まりはエロ漫画家たちと飲んでいる時に出てきたバカ話だったのだが、セクシュアリティやジェンダーを考えるいい素材であるとの解説を私がくっつけて膨らませたために拡散し、大学でこの課題が利用されたケースもあるらしい。「チンコねえさん」「マンコにいさん」とは言わなかったと思うが。

知らない人にもう少し解説をしておく。チンコのついている美女と、マンコのついている美男と、セックスするなら、どっちがいいかということだ。前者はいわゆるシーメールだ。乳とチンコがついていて、穴はついてない。後者はオナベバーにいるようなタイプで、性器以外は男の体だ。前者とはアナルセックスができ、後者とは性器セックスができる特典がついてくるという条件である。

私はこれに大いに頭を悩ました。悩んだ結果、「マンコにいさん」を選んだ。しかし、これはヘテロ男性においては圧倒的少数意見で、ほとんどの男らは、「チンコねえさん」を選ぶ。しかも、彼らの多くは悩むことなく、即答するのだ。

つまり、彼らが欲情する対象は、性器なのではなく、見た目が重要なのである。彼らはジェンダーに興奮する。この社会で「女」という存在に期待される役割や服装、仕草といった文化に欲情し、生物としての性器は二の次なのである。

そういう存在との接点がないと、どういう人物なのか、なかなか想像できないという人もいて、その場合は、より具体的に自分が好きなタレントの名前を当てはめるとわかりやすくなる。例えば、「マンコキムタク」と「チンコ鈴木京香」といった具合。悶え方は見た目の性に従うため、チンコをしゃぶると、鈴木京香があの顔で、あの声で「ああーん、もうダメ、イッちゃうー」って抱きついてくるんである。こりゃたまらん。対してキムタクにクンニすと、「おら、もっと強くなめろよ」って言ったりする。うーん、微妙だ。

それでも、私は悩んだ末に「マンコキムタク」を選択した。だってクンニが大好きなんだもん。私は服を着た状態の女の文化ではなく、性器の方がより大事。難しげなジェンダーに欲情する人たちに比べて、私はマンコに欲情する。理由が簡単すぎて、オレってバカみたいだな。

もちろん私としても、女という文化に欲情する部分もあって、だからこそ悩んだのだ。

 

 

性別を規定するのは何か

 

vivanon_sentenceこのテーマはさまざまな問題を含んでいる。「一体人は何に欲情しているのか」という問題は、実のところ、「一体人はどこで性別を判断しているのか」という話とも重なって、圧倒的多数派が「見た目が女」「仕草が女」「話し方が女」という点で判断している。これが私にとっては意外でもあった。

その点、私が「マンコにいさん」を選択したのは自分でも納得しやすい。自分の答えだから当たり前だが、私はニューハーフがダメである。「ダメ」というのはセックスの相手にならないという意味。手術していればいいのだが、チンコがあるとしたいと思わない。それがどんなにきれいであっても、チンコがある以上男だ。男装のオナベとしたいかというと微妙なのだけれど、マンコがついている限り、オナベは私にとってはやっぱり女だ。

魔羅の肖像 (新潮OH!文庫)私は『魔羅の肖像』なんて本を出しているくらいで、チンコが好きなノンケとして知られるが、それは形状が好きだったり、機能が面白かったり、存在がバカバカしかったりするためであり、性的興奮にはつながらないのである。私自身は最初からわかっていることだが、ここが案外理解されない。

世の中にはニューハーフ好き、シーメール好きの男らがたくさんいる。戸籍上、生物上の男女の区分ではなく、女というジェンダーを商品化しているヘテロの男向けのAVや飲み屋、性風俗産業があるのに、男ジェンダーで性器は女という男向きのマーケットがないことを見ても、前者のマーケットが圧倒的に大きいことがよくわかる。少数派に属する私だからこそ、この結果を意外に感じるだけで、多くの人にとっては納得の結果だろう。

多数派がこちらを選ぶのは、男から女へのトランスの人たちには朗報かと思われる。チンコを切除するまでに至らずとも、見た目を女らしくすれば男の多くは欲情するってことなんである。同時に「性器さえ作れば女になれる」あるいは「男になれる」と考えるのは大きな間違いだということにもなる。トランスは男にモテたい、女にモテたいからトランスなのではないのだけれど。

 

 

パルコ木下の場合

 

vivanon_sentenceこの質問を漫画家で芸術家であるパルコ木下にしたところ、彼はこう答えた。

「どっちも捨て難いですね。単にマンコにいさん、チンコねえさんと言われると、迷わずチンコねえさんなんだけど、マンコキムタクだったら、マンコにいさんもいいなあ」

「だろ、キムタクのマンコにパックリと入れていいんだぜ」

「いいですよね。でも、僕は妻がいるから、チンコ鈴木京香にしておきます」

「何だ、それ。意味がわからないんだけど」

 

 

next_vivanon

(残り 1311文字/全文: 3627文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ