『J番記者による大忘年会2017』~タグ祭り!~12/18渋谷で開催

タグマ!メディアを、携帯する。新世代のメディア、タグマ!

松沢呉一のビバノン・ライフ

「廃墟写真事件」に見る法とモラルの境界線- 風景写真の著作権 2-(松沢呉一) -4,033文字-

2015年01月03日13時55分 カテゴリ:連載肖像権知的財産著作権知的財産違法ではないパクリ


改めて丸田祥三が小林伸一郎を訴えた裁判を考える

 

「同じ自然物を撮っても著作権侵害にはならない」vivanon_sentenceで取り上げた韓国の例と同様の裁判は日本でも起きています。写真家の丸田祥三が同じく写真家の小林伸一郎を訴えた件です。

 

廃墟写真事件2009年1月9日、廃墟をテーマにした写真と解説文などを多数模倣されたとして、丸田は写真家の小林伸一郎を相手取り、類似した写真作品及び類似した文章の発表差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こした。

しかし、2010年12月21日、東京地方裁判所 大鷹一郎裁判長は、「被写体の選択はアイデアであって表現自体ではない。写真全体から受ける印象は大きく異なる」として、丸田側の請求を棄却(平成21年(ワ)第451号 損害賠償等請求事件)。

つづいて、2011年5月10日の知的財産高等裁判所の控訴審でも、「被写体が同じで構図が似ていても、写真の表現上の本質的特徴といえる撮影時期や角度、色合いが異なっている」(塩月秀平裁判長)として、丸田側の控訴は棄却(平成23年(ネ)第10010号 損害賠償等請求控訴事件)。

2012年2月、最高裁判所は上告棄却 。本事件は「廃墟写真事件」と呼ばれる。

Wikipedia

 

写真の検証についてはこちらを御覧ください。

今でもこの裁判について「おかしい」と言っている人に出会うことがありますが、著作権法の趣旨に照らして、ちいともおかしくありません。この裁判が起きて間もなく、私は「この題材は裁判には馴染みにくく、裁判官としては著作権侵害には当たらないと判断するしかないだろう」とメルマガで書いていました(原文通りに転載してみました)。著作権法を理解している人であれば多くの人がそう感じたはずです。

その予想通りになったわけですが、文章までがパクリと思われることから、小林伸一郎の写真は、丸田祥三の写真を踏まえた上で廃墟写真を撮っていたことはほぼ間違いがなく、その点について「問題なし」とは言えないと私は思っています。文章のパクリも著作物として認められるような内容ではないため、法律ではなく、モラルの問題です。

 

違法なパクリとモラル違反のパクリ

 

vivanon_sentenceパクリには「著作法違反、あるいは不正競争防止法違反などの違法なもの」と、「違法ではないながら、許されるべきではないもの」と、「どちらにも抵触しないもの」の大きく3つがあり、小林伸一郎の写真、あるいはその写真家としての姿勢は2番目であり、私は批判していいものだと感じます。これには異論もありましょうし、私自身、事実関係がわからないと、どこまでどう批判していいのか、はっきりしないところがあるのですが、少なくとも議論をしていいテーマだろうと思います。

実のところ、メディアで取り上げられるような剽窃についても、2のケースがしばしばあります。たとえば学術論文の剽窃。事実に類する内容をコピペしたところで著作権侵害にはなりません。研究費を得るためにそれをやったとなれば詐欺なども成立するかもしれないですが、多くの場合、そこが問題になるのではありません。

これは論文に求められる手続に瑕疵があったという話。いわばアカデミズム内ローカルルールの違反です。大学なり研究機関には明文化された倫理規定が存在し、それに反することもありますが、明文化されていなくてもアウトであることを誰もが理解します。だからこそ、新聞やテレビも報じますし、多くの人が「これはやってはいけない」と理解できます。つまり、ローカルルール違反であると同時に、この社会のモラルにも反しているのです。ここを忘れがちですが、明文化された法に依拠しなくても、「これはやってはいけないこと」と認識できる違反があるのです。

よくテレビドラマが漫画をパクっているという話が出ますが、セリフまでをパクっている場合は別として、設定を真似しているだけなら、著作権法には違反しません。これも著作権法が保護する対象ではないアイデアのレベルです。「パクリだ」「違法だ」「訴えろ」と騒ぎ出し、法律家が「これは著作権侵害ではない」とコメントして終息することがありますが、批判する側が「何が問題か」「法的に言えばどうなのか」を吟味せずに騒ぐことが、結果、事態を終息させています。

法律家は法律の専門家ですから、法律の話しかしない。モラルは知ったことではありません。むしろ、モラルと法を混同することを嫌う人も多いと思います。

モラルとしては引き続き批判していいこともあるはずですが、その区別がついていないために追及できなくなってしまうのです。法を理解する努力をしないまま、法に依拠するとロクなことにはならない。

 

表現者としての矜持のなさがパクリを生む

 

vivanon_sentence小林伸一郎のパクリ疑惑を検証するサイトに出ているものの中で、もっとも私が「これはないだろ」と思ったのは、丸田祥三の写真ではなく、池尻清の写真です。

 

next_vivanon

(残り 2067文字/全文: 4098文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

前の記事«
次の記事»
ぐろぐろ (ちくま文庫)


クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論
ポルノグラフィ防衛論 アメリカのセクハラ攻撃・ポルノ規制の危険性
デモいこ!---声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える
「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件—反差別論の再構築へ〈VOL.1〉 (反差別論の再構築へ (Vol.1))
エロ街道をゆく—横丁の性科学 (ちくま文庫)

ページの先頭へ