松沢呉一のビバノン・ライフ

明治に残る江戸の色彩・・・ロバート・F・ブルームの絵を読む -前半- [ビバノン循環湯 9](松沢呉一) -5,144文字-

昨年、メルマガ「マツワル」に3回にわたって掲載したもの。長いし、図版が多くて重くなってしまったので、ここでも2回に分けます。今回は暖簾だの襟だの襦袢だの、私の好きなアイコンについての話が続きます。本題は次回です。

 

 

 

ロバート・フレデリック・ブルーム

 

vivanon_sentenceこの記事がきっかけで10時間ほど絵を見続けることになった。

 

私たちが知らない江戸「日本を愛した19世紀の米国人画家」が描いた、息遣いすら感じる美しき風景

ここにはロバート・フレデリック・ブラムとあるが、適切な日本語表記はロバート・フレデリック・ブルームだと思われる。

本人がカタカナで「ブルーム」とサインしたものがある。のちのち意味を持つので、この文字をよーく見ておいていただきたい。

 

スクリーンショット(2014-12-30 7.41.08)

 

以下、名前はブルームとする。

上の記事によると、ブルームは、1890年から3年間日本に滞在したことが記述されており(より正確には2年半のよう)、1890年は明治22年。帰国したのは1893年で、明治25年。

「彼の目を奪った江戸の香りが色濃く残る日本の景色を描き続けることになる」という記述は正しい。明治中期のわりに風景が古臭く、服装も古臭いのである。彼が描いた東京は消えつつある江戸を描いたと言っても間違いではない。海の向こうから来たブルームからすると、近代化が進む日本ではなく、見たことのない風景、人物にこそ魅せられたのだろう。

それでも、近代を示す人力車や牛めし屋、肉屋が描かれていて、タイトルにも「東京」という文字が入っているので、明治時代のものではあるとはっきり書かれてなくても、一瞥しして明治の風景だとわかるってものだ。

しかし、Facebookにおいては、江戸のものだと思い込んだコメントをつけてシェアした人が連続していた。Twitterでも調べたのだが、Twitterも同じであった。明治のものだと指摘しているのは数十人に一人といったところである。絵を吟味した上でコメントをつけたのはそのくらいしかおらず、あとは1分程度で眺めて「素晴らしい」などと書いていたのだろう。

そういった人がネット利用者のほとんどであることを考慮するなら、タイトルの付け方がまずかった。また、西暦で日本に滞在した時期を示しているため、わかりにくかったんだろう。1890年とあると、江戸時代だと思う人たちにとっては。

「それにしても人力車や看板を見てないのか」と思わないではいられないが、人力車や牛めしがほぼ明治のものであることを知らない人も中にはいそうだ。その程度のことを知らない人が存在することはしゃあないし、どれだけ感心したり感動したりしても、1分以上の時間をかけたくないのもしゃあない。そういう人たちで社会は構成されている。だからこそ、時間をかけて正確な情報を出す人たちが必要とされるのであり、それが私らライターの需要になっている。

では、たっぷり時間をかけて、ブルームの絵を見ていくとしよう。

 

 

ブルームが描く日本は明治の日本

 

vivanon_sentence私はFacebookでシェアしてこう解説しておいた。

 

 

これは江戸ではないっす。この画家が日本にいたのは1890年から3年間です。明治20年代半ば。1893年に帰国して、1903年に亡くなっているようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Frederick_Blum
日本を離れた翌年に日清戦争が始まり、その数年後には日本でも自動車が走りだす時代ですから、全然江戸とちゃう。

 

 

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