松沢呉一のビバノン・ライフ

連絡がとれない人のインタビュー原稿の扱い- ゆるゆる著作権講座 4-(松沢呉一) -2,579文字-

インタビュー原稿のギャラ配分- ゆるゆる著作権講座 3」の続きです。

 

 

 

インタビューにはパブリシティ権も関わる

 

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雑誌のインタビューでは通常謝礼ってもんが出ます。しかし、単行本に収録する場合は出ないこともあります。

インタビューの二次使用がタダの場合、私は断る方針です。金が欲しいというよりは評価の問題。「金銭的価値がないと判断しているものを本にして金儲けしてんじゃねえよ」ってことです。誰も儲かっていないんだったら、タダでもOKだとして。あるいは自著の宣伝になるような内容であればタダで承諾することもあるとして。

金額は数千円でもかまわない。ほっといたら金にはならない「著作物」であり、それが再度利用される機会を作り出したライターの貢献が大きいのですから、「ありがとうございます」という話ですけど、タダだと納得できにくくなる。

これは著作物として認められるに足るインタビューについてであって、数行のコメント程度であればノーギャラはもちろん、二次利用の許諾はなくてもいいかと思います。内容は雑誌掲載の段階でチェックしているわけですし。あくまで「私は」であって、誰もがそうではないでしょうけど。

たとえば誰かとどこかに行き、その時のことを相手が原稿にして、私の言葉を出しているような場合は「書いていい?」「いいよ」だけで済み、ギャラなんて要求しません。また、インタビューであっても、私の名前を冠にして「松沢呉一インタビュー」としている場合に限った話で、銭湯好きのただのオヤジとしてのインタビューであればタダでもいいかとも思います。

しかし、名前を出して、その名前で読ませるようなインタビュー原稿は「金を寄越せ」です。私ごときがパブリシティ権を主張するのはおこがましく、裁判においては、私ごときパブリシティ権概説ではパブリシティ権は認められないでしょうが、それでも「名前を使うか否か」で意味は違ってきます。まして、著名人であれぱ、その名前で読者は雑誌や本を買っ たりするのですから、名前の権利は当然主張していい。

つまり、インタビューによっては著作権とは別にパブリシティ権もからんでくることになります。

パブリシティ権は人格権のひとつで、「氏名・肖像から生じる経済的利益ないし価値を排他的に支配する権利」とされています。人の名前を使って商売をすることに対して、一定の制限が生ずるってことです。法律を持ちださなくても納得しやすい考え方かと思います。

そのうち、これも詳しくやるかもしれないですが、ここでは関連書でも読んでおくか、検索でもしておいてください。

 

 

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