松沢呉一のビバノン・ライフ

安藤明と占領下の日本-築地にあったGHQの接待クラブ-[ビバノン循環湯 30] (松沢呉一) -8,076文字-

「マーク・ゲインと占領下の日本」の続きですが、『ニッポン日記』は安藤明という人物を知る契機になっただけですので、こっちだけ読んでも十分理解できようかと思います。
『ニッポン日記』に触れつつ、安藤明と「大安クラブ」について書いたものを「裏歴史ナックルズ」に書いており、それが今回の原稿です。雑誌では文字数の制限があるため、削った部分もあって、今回がいわばフルヴァージョンです。そんなに大きくは変わらないですけどね。
記事には「大安クラブ」のあった場所を示す古い地図も掲載されていたのですが、地図のコピーはどっかに消えました。現物を見たい方は中央区の図書館へ。

 

 

 

安藤という人物

 

vivanon_sentenceマーク・ゲイン著『ニッポン日記』(筑摩書房)を読んだ人の多くは、一人の日本人の名前を強く記憶に留めることになるはずだ。「安藤という男」である。

最初に安藤が登場する箇所を引用してみよう(訳は井本威夫)。

 

 

大安クラブのことをきいた。アメリカ人たちが招かれて素晴らしい食い物や酒や女を提供されるところだ。その主人公は安藤という男で、クラブはいみじくも彼の名をとって名づけられている。すなわちダイは大であり、アンは彼の姓の最初のシラブルである。このクラブに行ったことのある或る将校の話だが、彼がそこへ行ったとき安藤は同時に六つの宴会をかけもって主人役をつとめていた。その将校が出席した宴会は少なくとも三万円はかかったろうと彼は言った。

(略)彼はGI専用のキャバレーも経営している。彼は私のある友人に、そのキャバレーで毎月三十万円損をしているが、『日米親善のためと思えば大したことはない』と語った。安藤は大きな建築請負業者、親分、そしてゆすりだといわれている。

 

 

新円切替前の話である(新円切替は一九四六年三月三日実施)。GHQの将校たちを接待するために、たったひとつの宴会で、現在の金に換算すれば数千万円を惜しみなく使う。GIのためのキャバレーのためにも毎月億単位の金を注ぎ込み、「大したことはない」と言ってのける。それが安藤という男である。

これ以降、安藤は本書に繰り返し登場し、読者はこの人物に対する興味を抱かずにはいられなくなる。

 

 

偉人か狂人か

 

vivanon_sentenceマーク・ゲインは高松宮に会おうとしていた。しかし、宮内庁は書面による質問には答えると言ってきて面会を拒否し、マーク・ゲインは困惑する。いかに戦勝国の記者とは言え、やすやすとは取材できる存在ではなかったのである。

日本の記者であれニッポン日記 (ちくま学芸文庫)ば、面会を申し込むことさえためらったろうが、マーク・ゲインは諦めなかった。

一九四六年六月八日、マーク・ゲインが銀座にある安藤の会社が所有する大安ビルディングを訪ねた時に、そのことを安藤に説明し、「高松宮に会ってインタビューをしたい」と告げる。安藤は「いつがいいか」と聞き、マーク・ゲインはその三日後を希望し、その希望通りに、高松宮との面会が実現している。安藤は高松宮に直接連絡をとることができたのである。

高松宮にも顔の利くこの安藤というのはいったい誰なのか。マーク・ゲインの言う通り、ヤクザの親分なのだろうか。なぜ彼は莫大な金を使ってGHQに媚びるような真似をしたのだろうか。

ニッポン日記』に簡単なプロフィールが記載されている。

 

安藤は一九〇一年二月十五日に生れた。十三歳の時東京市役所の給仕になり、二十歳の時には旅役者の一座に加わっていた。二十三歳の時運送屋をはじめた。(略)一九三六年彼は大安株式会社を設立したが、これは今日でも彼の営利網の中心をなしている。(略)戦争が勃発するや、安藤はその事業を伸展させ、彼の会社は隧道を掘り地下工場をつくり飛行場の建設をした。(略)彼は大東亜省や軍需省の顧問に任命された。日本降伏後には、マックアーサー元帥の到着を迎えるため、めちゃくちゃになっていた厚木飛行場を整備する仕事を請負い、四日間でこれを仕上げた。その経歴調査によると、一九四五年に彼は五億円(三千三百万弗)儲けた。

 

五億円は今なら三千億円から五千億円に相当する額である。

安藤の会社は、系列会社を合せて、社員数は十万人を越えたという。それだけの大企業であれば、銀座に本社ビルを構えていたのももっともではある。しかし、それがゆすり屋であり、皇族ともつながりがあるとはどういうことなのか。

ニッポン日記』は戦後生まれの世代にしてみると、とてもこの国で起きていたとは思えない事実が次々と活写されていて、時にフィクションではないのかとも思えてくるのだが、とりわけこの安藤については、「こんな人物が本当にいたのだろうか」と夢を見せられているような気分になる。

しかし、疑いなく存在していた人物である。『ニッポン日記』ではなぜか姓しか出てこないが、この男の名は安藤明。フルネームを出したところで、今現在、この男のことを知る人はほとんどいないだろう。日本の正史からは完全に消された存在、もしくは最初から正史で扱われない存在である。

 

 

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