松沢呉一のビバノン・ライフ

マーク・ゲインと占領下の日本-RAAと精工舎-[ビバノン循環湯 29] (松沢呉一) -6,829文字-

3年ほど前にミリオン出版の「裏歴史ナックルズ」だかなんだかに書いたもの。掲載された文章は、莫大な資金を投じてGHQを接待した築地の「大安クラブ」を経営していた安藤明についてがメインだったのですが、メルマガでは、安藤明の存在を知るきっかけになったマーク・ゲイン著『ニッポン日記』(筑摩書房)について、より詳細に書いていました。

『ニッポン日記』はよく知られる本ですけど、私はあんまり注目されないところに注目しています。この本にはRAAの施設(時期からして「元」というべきか)を取材した時の記述が出てきます。おそらく小岩にあった「東京パレス」です。「東京パレス」は精工舎(現セイコー)の建物を転用したものだったことはよく知られるのですが、より深く精工舎が関与していたことを窺わせます。

占領時代、RAAについては日本のメディアは触れることができず、アメリカの特派員の特権であります。

『ニッポン日記』についての一文を先に出し、続けて安藤明についての一文を出します。

 

 

 

ベストセラーとなった『ニッポン日記』

 

vivanon_sentence現在もちくま学芸文庫から出版されているマーク・ゲイン著『ニッポン日記』』(筑摩書房)は、一九四八年、米国で発売されて話題となり、一九五一年に邦訳が出てベストセラーになった。著者は一九四五年十二月五日に来日、間に朝鮮半島滞在を挟みながら、一九四八年まで日本に滞在した特派員であり、敗戦後、激動する日本の様子を生々しく記述する名著である。

訳者は日本では知られていない本として、これを来日した知人に借りて読み、翻訳したとあるが、占領下ではとても出せなかった内容で、発行された当初、この本の存在が日本で知られていなかったのも当然であり、日本人が知らなかった日本が記述された邦訳が話題になったのもまた当然かと思う。
ニッポン日記 (ちくま学芸文庫)
日記と言っても、その日にあった事実を淡々と書き綴っているだけではなく、つねに批評を加えていて、いずれ出版することを意識していたようにも思える。そうじゃなくても、職業柄、そういう癖がついていたのだろう。警察発表だけを書き写す記者ではこうなるまい。

広島に赴いた時には、その被害を書き綴っている。占領下では原爆のことを書くことは許されず、日本人は口コミで知る程度だったのだから、強力な威力のある新型爆弾が落ちたことはわかっていても、放射能の恐怖はわかっていない人が多かったはずで、井戸水を飲んだだけで下痢をし、一年後でもなお原因不明の疲労で苦しむ人たちが多数いたことをこの本で初めて知った人も多かったはずだ。

頻発するデモやストライキ、共産党の活発な活動なども活写されており、敗戦の処理が進むと同時に、それに伴うこの国の混迷ぶりもよくわかる。これによると、読売新聞は、戦後間もなくは、こういった動きをバックアップする姿勢を打ち出していたらしい。他紙の名前は出ておらず、読売新聞が突出していたようだ。しかし、それを主導した人々はやがてパージされている。

 

 

狡猾な日本人たち

 

vivanon_sentence占領軍であるのだから、GHQが絶大な力をもっていたのは事実であり、その意向を無視はできなかった。しかし、形式的なものでしかなかったにしても、彼らは日本側の判断を尊重してもいて、自分らの領分を侵さないようにしていたことが読み取れる。このようなGHQの姿勢は日本人が書くものからはわかりにくく、当時の日本はただもうGHQに従うしかなかったかのように描かれがちだ。

マーク・ゲインはGHQがそうしたがための苛立ちも描いており、しばしば日本人は狡猾で厄介な存在として登場する。

個別具体的な局面において占領軍は権力がない。日本側に要請をするだけである。ある将校が道路の清掃を要請したが、市役所は無視をし続けた。そこで将校は、その担当者を呼びつけて箒を渡し、掃除をするように申し渡したといったエピソードが多数出ている。権力に慣らされた日本人は権力を見せないと言う事を聞かないのである。しかし、権力をちらつかせると服従する。

 

 

一般の日本人たちは未だ征服者たちが権力をもっていないことに気づいていないらしい。というよりは、軍服を着た者には絶対服従するという彼等の習性からアメリカ軍と議論するのを避けている、といった方が当たっているかも知れない。そして、我々の命令や改革を妨害しつづけるのには遷延だとか遁辞だとかいう方法を用いる。

 

「遷延」はのびのびにすること。「遁辞」は言い訳すること。

正面切って議論を挑み、正面切って異議を申し立てるのではなく、何かとやらないことの工作をする。日本人らしい。たとえば財閥解体でも農地解放でも、日本側が提示する法案には、つねに逃げ道が用意してあるので、それをチェックして作り直させる。すると、今度は別のところに逃げ道を潜ませてある。

GHQは警察から特高関係者を追放するように命じたが、日本側はその前に情報を得て、指令が出る前に、特高関係者は総辞職。その指令が出たのちに、日本政府は彼らを警察署長に任命し、ある県では十四人の警察署長のうち、七人が特高にいた人物だった。彼らは、指令が出た時には処分されていないので、無傷であるという論理なのだ。これもGHQが直接処分をすることができず、その隙を狙って日本人たちは奸計をめぐらせる。

こういった具体例が多数出ていて、「なんちゅう、こすいヤツらか」とイヤになる。もちろん、これは支配する側の言い分であり、日本側は日本側の論理と都合でそれに抵抗していたわけだが、一方的に力づくで日本が支配されていたわけではないことが読み取れる。

GHQの権力を実際以上に強く見せかけたのは、日本人の都合だった。「GHQがああ言っているから」「オレの背後にはGHQがついている」といった形で利用していったのだろう。

 

 

「ヴェリ・グッド、ジョー! ヴェリイ・チープ」

 

vivanon_sentenceこういった政治的駆け引きの一方、著者は庶民の生活をも見据えており、人々の生き様や表情をもとらえており、それがこの本を読み物のとしての魅力を一層高めている。

 

 

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