松沢呉一のビバノン・ライフ

ピンクがエロになったワケ-桃色探訪 第二部-戦前編 1– [ビバノン循環湯 43] (松沢呉一) -4,431文字-

「桃色探訪」の第二部です。第一部とは直接にはつながっていないので、第二部だけ読んでも理解できましょうが、念のため、第一部は以下。

桃色探訪 1「文化によって違うエロの色」

桃色探訪2「看板のピンクはエロの色・下着のピンクは子ども色」

第二部は「桃色/ピンク」がエロの色になる過程を辿った内容。戦前編と戦後編があり、戦前編は3回続きます。

 

 

桃の隠喩

 

vivanon_sentence桃色と言えば桃である。正確には桃色は桃の果実ではなく、花の色から来ているのだが、果実にエロチックな意味を見出すことは容易だ。色と言い、形状と言い、果汁が垂れる様と言い。

事実、隠語として「桃」は性器の意味として使用されていた。

梅垣実編『隠語辞典』(東京堂・昭和31年)にこうある。

 

 

もも[桃] 女陰。(俗) 江

 

最後の「江」は江戸時代から使用され始めた言葉という意味。しかし、この用法が、直接今に至るエロの意味につながっているわけではなさそうだ。

桃太郎の桃は性器、あるいは子宮のメタファーであることは容易桃太郎の誕生 (角川ソフィア文庫)に想像がつく。しかし、今我々が知っている桃太郎の物語は、もともとあったいくつかのヴァージョンのひとつでしかなく、桃から生まれなかった桃太郎のパターンもある。

桃から生まれた設定が完成したのは江戸時代。桃太郎の類型は中国にもあるのだが、柳田国男著『桃太郎の誕生』によると、桃から生まれる設定は日本オリジナルのようだ。

では、当時、桃太郎の桃は性器や子宮のメタファーとしてとらえられていたのかどうかだが、どうもそうではなさそうだ。

たとえば「桃尻」という言葉。これはもともと馬に乗るのに適さない尻のことを意味する。当時の日本の桃は今のまん丸に近い桃ではなく、下部が尖った形状だったためだ。また、落ち着きのない様を意味する。

柳多留名句選〈上〉 (岩波文庫)

当時は女性を意味するものではなく、女性に特化したのは橋本治の『桃尻娘』以降のこと。「桃尻娘」という言葉がシックリ来るように、「桃」は自然と女性を連想するわけだが、それは今の時代だからだと言ってよさそうで、江戸時代はそうではなかったからこそ、桃尻は男にも使う言葉だったのだろうと推察できる。

江戸の川柳集「柳樽」にも性器を意味する用法があるにはある(山本成之助著『川柳 性風俗辞典』牧野出版/1972)。川柳に使用され、その意味が説明なく伝わるくらいに広く認識されていたということになるが、その用例は決して多くはなくて、女性器の意味ではやはり「貝」「蛤」「赤貝」の方がずっと使用頻度が高い。

以上のことから、「桃太郎」の桃も女性器であることが広く認識されていたのかどうかは些か疑問ではある。

 

 

霊力を持つとされた桃の木

 

vivanon_sentence中国でも桃の実や花を女性器と見る例もあるのだが、それ以上に桃は邪気を払う仙木とされている。

桃太郎の桃にもそれが反映されていると見るべきで、そちらの意味合いが当時は強かったため、エロを象徴とするものとはならなかったとも言える。色のイメージは簡単に他のイメージによって霞んでしまう程度のものだ。

桃源郷という言葉から、我々日本人は、エロを含めた理想郷を想像してしまいがちだが、ここでの桃(の花)も霊力をもつものとして登場していて、本来はエロとは無関係だ。

日本にもこれが伝わって、「古事記」で伊弉諸尊が黄泉の国から逃げる時に追っ手に桃を投げて退散させている。

今の中国では、魔除けというより、IMG_5184幸せを招く縁起物であり、商売繁盛という意味合いで使っている人たちが多い。中華料理店などで、桃を描いた布が壁に貼られていたり、看板に桃が使用されているのはそのためだ。日本の企業だが、バーミヤンのマークはその桃の用法を踏まえている。

このような力のある果物ということから、桃の節句が始まる。桃の色から、女児を連想した祭なのかと思ったのだが、当初は女の子の祭りではなかった。今も桃花祭りといった形で全国に残されていて、仙木である桃の花を浮かべた桃酒を飲んで長寿を願う風習がある。酒を飲むくらいで、子どもの祭りでさえなかったのである。

江戸時代に、桃花祭りとは別に存在していた女児のための雛祭りとが合体。これを幕府が五節句のひとつとして定めたことから、桃の花が女児を象徴するものになる。雛祭りの蛤や菱形の餅も女性器の象徴だろうが、桃の花や果実はストレートにエロを喚起するものではなかったのである。

今現在、スイカやカキ、リンゴに男イメージも女イメージもないように、それまでの桃や桃の花には性別を投影することはなく、おそらくこの雛祭りを媒介として、江戸時代から近代にかけて、桃や桃の花には女児、あるいは若い女というイメージがつきまとうようになっていったのだろうと推測できる。

 

 

エロに隣接しつつも、エロではない「桃色」

 

vivanon_sentence明治以降のものを片っ端から調べてみたのだが、昭和に入るまで桃色をエロの色として使用している例は極少ない。少ない例も「そうともとれる」という程度でしかなく、はっきりエロだと断定できるようなものは私が見た範囲では皆無であった。

戦前の国語辞典、流行語辞典、隠語辞典を調べていく過程で、なぜ「桃色/ピンク」がエロの色になっていくのかを推察させるものがいくつかあった。

新村出編纂『辞苑』(博文館)の昭和14年版。

 

 

ももいろ【桃色】(名)(一)うすあかい色。淡紅色。(二)稍、左傾思想を帯びてゐこと。(三)男女のあはい愛情。浮気心。

 

 

「やや左翼思想を帯びていること」は英語のpinkの用法と同じ。「赤」が共産主義者の意味であることを踏まえ、もう少しゆるい左翼を指す。

「男女のあはい愛情」はエロ臭いが、意味的には「あまりエロではない」ということになる。

おそらく「浮気心」は「桃尻」から来たものだろう。

 

 

next_vivanon

(残り 2349文字/全文: 4762文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ