松沢呉一のビバノン・ライフ

書評で書影を出せない理由とAmazonのアフィリエイトが使われる理由-ゆるゆる著作権講座 6-(松沢呉一) -2,664文字-

書評で著作物たる表紙写真を出すことはできない

 

vivanon_sentence法律を遵守すると、書評で写真やイラストを使った本の表紙写真(以下「書影」)を出せないと知ったのは今から20年くらい前になりましょうか。著作権法に詳しい北村行夫弁護士にその解説をしてもらい、SPA!の連載でこのことを記述した時は、このことを知らなか判例から学ぶ著作権 (ユニ知的所有権ブックス)った人が多くて、けっこうな反響がありました。

現実には、書影を出したところで文句を言われることはほとんどありません。著作物として認められるのは絵や写真を使用しているものになりますが、この場合の権利者は、出版社ではなく、そこに使用された写真や絵の権利者です。社員が撮ったり、描いたりしたものであれば法人著作である場合もあるとして。

それらの権利者は、自分の描いたイラストや絵、自分の撮った写真を本の表紙に提供して、その書影が書評に使用されたところで文句を言うことはまずない。本がボロクソに貶されていたところで、表紙を担当した自分には直接関係がないのですし。

表紙の著作物に手を加えたりしたらまた別の問題が生じるとして、そのままである限り、ゆるゆるで使っていいのですよ。訴えられたら運が悪かったと諦める。大多数の人は訴えた側に反感を抱き、訴えられた側に同情して、ご飯くらいはおごってもらえます。

ただし、ひとつだけ問題があります。漫画です。大手の出版社は漫画の表紙だけは文句をつけてきます。もともとSPA!の連載でも、「事前に原稿をチェックさせろ」と言われ、その結果、書影が使えなくなり、白紙で出したことがきっかけで、この件を取り上げました。つまりは実質、内容チェックのために書影の著作権が利用されているわけです。

法的には間違っていないですけど、これは理不尽だと思うので、以来、私は表紙の著作物については著作権を制限するよう法改正すべきだと言い続けています。

つっても、そもそもなんでNGなのかなおわかっていない人もいるでしょうから、説明しておきます。今まで何度も書いていて、今となっては検索すればいろんな人たちが書いてますけど、前回の「佐藤秀峰の主張を改めて肯定する」を読んでいれば理解は容易です。

表紙の著作物と中身の著作物は別

 

vivanon_sentence佐藤秀峰の件を持ちだしたのは、表紙の著作物と、中身の著作物は別の著作物であるということがわかりやすくなるからです。

本のカバーや箱は包装紙みたいなもの」と書いたのは、価値がないと言いたいのではありません。だから、国会図書館に対しても私は「捨てるな。それも文化なのだから、保存しろ」と文句を言っているわけですが、国会図書館は正しく中と外を分けて考え、中だけを保存しているわけです。

夏目漱石の著作物である『坊っちゃん』は単行本であろうと、夏目漱石全集であろうと、日本文学全集であろうと、文庫であろうと、それ自体の価値が変わるわけではない。変わるのは外側だけ。

ここにおいて本を批評する場合、批評の対象は中身の著作物です。「松沢呉一の書くことは素晴らしい」というのは中身の著作物に対する批評です。その際に、文章を引用することはできますが、商品パッケージである表紙の著作物を出す必然性がありません。

 

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