松沢呉一のビバノン・ライフ

遺体写真を生徒に見せたことの問題はどこにあったのかを改めて考える(松沢呉一)-3,004文字-

もっとも奮闘している人がもっとも叩かれる理不尽

 

vivanon_sentence情報が溢れた社会においては考える契機もそれだけ増えるはずですが、現実には逆になっています。「マスコミは消費者をきれいに反映している」に書いたように、考えないで消費した方がしばしばメリットがあります。「Cadot」のウソ記事を「いい話」として共有し、仲間意識を高めるのがもっとも楽に「つながり欲求」を満足させられるわけです。こういう人たちには「バーカ」と言ってやる必要があります。

誰しも情報の消費は避けられないながら、バーカと言われないように、ひとつひとつ丁寧に検証していくことも必要です。

ちゅうわけで、「人質の遺体写真と原爆の遺体写真はどこが違うのか-小学生に見られるものと見せられないもの」の続きを書いておきます。時間が経ってしまってますが、情報を消費して終わらせるのではなく、議論を継続していくべきテーマです。

名古屋の小学校教諭が「それまでどういう授業をやっていて、その時にどういう意図で写真を生徒に見せたのか」がわからないのに、教諭をバッシングする人たちを私は批判しました。

十分に情報がないのでわからないわけですが、見せる必然性がある授業をいじめ・レイシズムを乗り越える「道徳」教育やっていた可能性は十分にあって、実際にどうであったかを踏まえて適切だったか否かを判断すべきであり、それなしに、よくも叩けるもんだと思わないではいられませんでした。

そこで、渡辺雅之・立教大学講師に、「教職員のネットワークで、詳しい事情がわからんものか」と相談しました。渡辺さんも、教員の立場から、バッシングに対して批判をしています。

残念ながら、渡辺さんのネットワークでは詳細はわからなかったのですが、渡辺さんは以下の記事を教えてくれました。

 

小5授業で「イスラム国」遺体画像 名古屋市教委、謝罪

2015年2月5日19時34分

名古屋市東区の市立小学校で5年生の社会科の授業中、過激派組織「イスラム国」に殺害された日本人男性とみられる遺体が映った画像を、20代の女性担任教諭が児童らに見せていたことがわかった。市教育委員会は5日、「不適切だった」と謝罪した。

市教委によると、教諭は3日午後の授業で静止画像2枚を教室のテレビに映した。人質となった湯川遥菜(はるな)さん(42)とみられる遺体と、後藤健二さん (47)とみられる男性が覆面姿の男の隣でひざまずいたもの。「イスラム国」がネット上に公開したとみられる映像の一部を切り取り、ぼかすなどの修整はな かった。

校長によると、授業のテーマは「情報化が進むことによる利点と問題点」。東日本大震災後、見る人の心的苦痛を考え津波の映像を流さない放送局もあったが、報道で支援が広がったなどと教諭は説明し、「どこまで真実を報道することがよいか」を議論させた。

議論に入る前に後藤さんらの画像を示す際、「見たくない人は見なくていい」と話すと、児童35人のうち5人ほどが顔を伏せた。今のところ、体調を崩した児童はいないという。

校長は「残酷な写真を教員が見せるのは不適切だった」と指導。教諭は「報道のあり方を考えさせるとともに、命の大切さに目を向けさせたかった。迷った末に見せたが、軽率だった」と話しているという。

市教委は「テーマ設定はいいが、国内のメディアも報じない残虐な画像を発達段階の子どもたちに見せたのは大きな問題。厳正に対処したい」としている。市内の 小中高校などに対し、注意するよう5日に通知。今後、同校の保護者に説明するとともに、同校に臨床心理士を派遣し児童の心のケアに努めるという。

朝日新聞

 

この記事を私は見逃していました。

 

名古屋の教諭はどこにミスがあったのか

 

vivanon_sentence「情報化が進むことによる利点と問題点」が授業のテーマです。教育委員会も認めるように、素晴らしい内容だと思います。

災害の報道は悲惨な現実を伝える責務があります。悲惨であればあるほど、それを伝えるべきです。しかし、時にはそれによって強いショックを受ける人がいます。そのことをどう考えたらいいのか。

災害じゃなくても、あるいは報道じゃなくても、ある人たちにとって必要な情報や表現はある人たちにとっては不快感をもたらすこともあります。これは「表現の自由はどこまで許されるのか」という大きなテーマにもつながります。

そう簡単に結論が出るわけはない。それでも小学生の段階から、それを考えさせようとした。その際に、報道すべきかどうかのサンプルとして遺体写真を見せたことは本当に軽率だったのかどうか。軽率だったのだとしても、さまで叩かれるようなことだったのかどうか。

この教諭の見込みが甘かったのだとすると、情報化が進むことで「事実を確認し、熟考することを放棄して、叩くことで情報を消費する人々」が現れてきていることに対しての警戒が足りなかったことあり、それだけがミスだったとも思えます。

こういう人たちに対抗するにはどうしたらいいのか。

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