松沢呉一のビバノン・ライフ

人質の遺体写真を見せた小学校教諭を批判した人々への質問(松沢呉一)-3,487文字-

「人質の遺体写真と原爆の遺体写真はどこが違うのか-小学生に見られるものと見せられないもの」「遺体写真を生徒に見せたことの問題はどこにあったのかを改めて考える」の続きです。

 

「はだしのゲン」でPTSDになったかもしれない人にどう答えるのか

 

vivanon_sentence名古屋の教諭を批判した人たちは、以下の意見にぜひ答えていただきたい。Facebookにyasuko.miyamotoさんという方がコメントしてきたものです。

 

私は近所の夏祭りのイベントと称して、毎年夏になると小学校低学年からずっと「はだしのゲン」の映画を強制的に見せられ続けました。
とてもとても怖くて高学年になっても直視出来ず、ずっと耳を押さえて目をぎゅっとつむって「耐えて」いました。
軽いPTSDなのか、ついていないはずのテレビから怖い映像が流れたりする悪夢を何度も見ました。
原爆資料館は怖くて出口まで走り、内容はあまり覚えていません。

友人は高校になっても、「南京大虐殺」とされる画像を見せられ、それ以来暫く「南京」とつくものにふれるたび、吐き気がすると言っていました。。
(「南京錠」とか、そう言う言葉は結構あります)

(略)

適正年齢に達しない子供にとってはそれらの資料はただの暴力です。
もちろん「怖い」感情が先立ち、内容は入って来ません。
強いて言えば、残るのは「嫌悪感」

いくら世界を知るためと言ってもその暴力的な者をまだ受け入れる体制がないものに、「強制的に」見せるのは如何かと思います。

(略)

 

名古屋の教諭は「見たくない人は見なくていい」としていたのですから、強制ではありません。よって、この人の批判対象ではなく、名古屋の教諭を叩いている人たちが答えるべきです。「はい、そうですね、そんな映画を見せてはいけないですね。原爆資料館に行くのはよくないですね」とするのか、「それとこれとは違う」とするのか。違うのであれば、どこがどう違うのか。

「見たくない人は見なくていい」としていたにもかかわらず、名古屋の小学校教諭を批判した人たちは、どうかこの人に答えてやってくださいな。その場での思いつきを言いっぱなしなのはよくないですよ。

 

 小学校だけの問題ではなく、人質の写真だけの問題でもない

 

vivanon_sentence夏祭りで強制的に「はだしのゲン」の映画を見せられるなんてことがあるのですかね。たしかに昔は町内会や子ども会の力がありましたが、今の時代は無理でしょう。夏は親戚の家に行く、海外に行く、避暑地に行く家庭も多いのだし、家にいたって、夏期講習や少年野球やサッカーチームの活動で忙しくて、地元の行事には参加しない子どもが多そうです。

はだしのゲン 涙の爆発 [DVD]しかし、学校で映画を全員が見る授業は今もあるでしょう。平和教育であれ、性教育であれ。

嫌悪感が残ったり、悪夢を見たことくらいでPTSDだとするのは大いに疑問ですが、なにしろ、名古屋のケースでは「体調を崩した児童はいない」のです。それでもバッシングした人たちは、この程度のことでも、当然、大問題とするんでしょうね。

この人だけじゃなく、「はだしのゲン」や南京大虐殺の画像で気分が悪くなる人たちが存在することは容易に想像ができます。名古屋のケースではおそらく写真を見せたのは一瞬のことでしょうが、映画となれば長時間続く。その影響はより大きいことが想像できます。

この人は小学生だけでなく、高校生の例も出しています。だったら、高校生でもアウトですね。大人でもいるでしょう。であればそれもアウト。過敏な人たちは年齢を問わず存在します。

また、その範囲も際限がありません。写真に強い衝撃を受けた人がいたことをもって、それを生徒に見せてはいけないということになると、「斬首」という言葉でも同様の衝撃を受けた人の存在をもって、言葉も使えなくなります。

もっとも過敏な個人を基準にして、社会のルールを定めると、たとえば人質事件であれ、川崎の中学生殺害事件であれ、報じることさえできなくなります。言葉で説明したところで不快になる人はいるんですから。

これは個人的経験によって実際に起き得ることです。実際にそういう人が存在するわけですが、「ホモ」という言葉でいじめを体験したことによって、この言葉が一切受け入れられなくなる人もいます。「ホモサピエンス」や「ホモ牛乳」もダメ。では、これらの言葉を学校やメディアが使わないのが正しいのでしょうか。

名古屋の教諭はまさにこういうことをテーマにした授業をしようとしたのだと推測できます。

 

「選択ができるのか否か」が重要

 

vivanon_sentence現実に報道が社会に悪影響を及ぼすことはあります。犯罪の手口を真似る人たちが出てくる。自殺の報道で連鎖が起きる。それに対しての批判も繰り返されてきています。

しかし、そもそもテレビや新聞であれば本人や親が対処ができます。報道は不快な情報が多数混じることは最初からわかっているのですから、こういう人たちはニュース番組を見なければいい。新聞や雑誌も読まなければいい。戦争映画や犯罪ドラマを見なければいい。テレビでお笑い番組と歌番組とスポーツ中継だけ観ていればいいでしょう。

前にオランダのテレビ局の例を出しましたが、子どもに不適切だと思えば親が見せなければよく、これを簡単にメディアのせいにすべきではない。

それらも議論は重ねていくべきだとして、問題はやはり学校のような場で、強制的に見せられ、参加させられることです。名古屋の教諭のように、いちいち「「見たくない人は見なくていい」という選択をさせるようにするしかなく、むしろ、名古屋の教諭はあらゆる学校の手本を実践していたのだと思います。

私自身、子どもの頃は過敏なところがありました。今も完全には克服できてはいない。その私の立場からしても、「私」を基準に、誰もが情報にアクセスできなくすることは不当だと思います。どのくらい私が過敏なのか、告白しておくか。

 

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