ルミネの動画と「境界のないセカイ」-差別的表現再考 5 (松沢呉一) -2,431文字-
ルミネが謝罪、動画を撤回に
忙しくなってきたため、おそらく「ビバノンライフ」では初めて3日も更新をさぼってしまい、この件も取り上げるのが遅くなりましたが、ルミネがインターネットで公開していた動画の件はルミネ側が謝罪し、該当動画を非公開することで決着。
経緯はこちらを参照のこと。
先週は該当動画に対する批判がFacebookに流れてきていて、私も動画を確認して「これは批判されてもいいだろう」と思いはしたのですが、第1話となっています。第2話も公開されていましたから、シリーズものであることは歴然としています。
この2本で終わるのか、あるいはもっと先があるのか。先があるのだとしたら、ここまでの設定は覆されるのではないか。そう予測したのは、「まさか、今どきこれで終わるわけはないよな」という思いがあったためです。
主人公が職場で銃を乱射することはないとしても、たとえばこんな展開を私は想像しました。
「変わろう」と決意した主人公が服を揃え、ウィグをつけ、派手目の化粧をして、休みの日には別人のようになる。それによって自信を得た主人公は仕事にも張りが出てきて、会社での「需要」もいよいよ高まって、自分を見下していた同僚より出世。部下が仕事ができないことをとらえて、「あなたの需要はもうありません」と告げる。
「ルミネで服を買ったくらいで、そんなうまくいくかよ」という突っ込みはなしとして、こういう展開があるのだとすると、第1話、第2話は否定される現実になりますから、「ここで判断はできないな」と私は思ってました。「先がある」とも「ない」とも言えない以上。
拍子抜けのルミネの回答
そうこうするうちに、冒頭にあったように、ルミネは謝罪をするに至ります。
この謝罪には事情説明がなく、コメントをとった記事を見ても私の疑問は説明されていません。謝罪がさなれたところで、「炎上するとすみやかに謝罪する」という企業の望ましい対応として、とりあえず謝罪したものだったようにも思えます。本当にこの段階でも私はなお判断できずにいたのです。
一切触れないならスルーでもよかったのですが、知人のところにコメントをしたため、確認をしておく必要があると思い、ルミネにメールをしました。21日のことです。私は文書での回答をお願いしていたのですが、こういう質問に対応する文書を用意していなかったのか、あちらの担当者が電話をしてきました。
録音をしていなかったので、要点のみ書きますが、「第3話以降の予定はなかった」とのことでした。「作るも作らないも決まっていなかった」というニュアンスでしたが、どちらにしてもこれで確定。「この先はこうなるのではないか」という予想は私の深読みでした。脱力しましたよ。
私は担当者に「続きを作ってはどうか」と伝えました。謝罪して引っ込めて終わりにするのはよくない。今後、萎縮するのもよくない。だったら、いい方向に転換させた方がいい。無理っぽいですけどね。こういうことがあると、「なかったことにする」という方向にしかならないので。
こうして続きがないことがはっきりしたわけですが、なおひっかかるのです。
早い段階で書いておかないと、無料部分だけをいい加減に読んで「松沢はルミネを擁護している」と言い出すのが出てきそうなので、先に繰り返しておきますが、確認がなされた段階で、私もルミネは批判されていいと判断しています。
しかし、先があるのかないのか確認できないうちに批判していいのかどうかについて、私は現段階で、積極的に批判することではないにしても、「いいことではない」と思ってます。
先に続く可能性があったのに、それを考慮せずに批判することを肯定してしまうと、現に先がある場合、ここまでの内容が覆される旨の説明をつけるか、そういう表現自体を避けるしかなくなるのではないか。
「境界のないセカイ」の打ち切りを正当化する危惧
こういう話が話題になっていますね。
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