商社の受付嬢からソープ嬢へ-アナルのイブ・インタビュー 1-[ビバノン循環湯 55](松沢呉一)-5,640文字-
1998年に書いたものです。全然記憶にないですが、掲載誌はミリオン出版の「メンズインパクト」だったよう。
店はすでに存在せず。イブさんは年齢を教えてくれなかったのですが、当時、すでに40代だったはずなので、もう引退しているでしょう。引退して以降の生活設計も立てていた人ですし。この時のインタビューが面白くて、ここから40代以上のキャリアの長い人たちのインタビューを積極的にやるようになります。
なにかしら写真を撮ったはずですが、行方不明なので、先日、ひさびさに吉原に行って写真を撮ってきました。段落の最後に写真の解説をつけておきましたので、そちらもお楽しみください。
四十代のナンバーワン
吉原のソープランドにすごいおねえさんがいるとの話は前から聞いていた。四十代らしいが、それでも人気が衰えず、ナンバーワンを維持し続けている。
その人は「看護婦パートⅡ」のイブさん。イブという源氏名は吉原に何人もいるだろうが、彼女は「アナルのイブ」で通っている。もちろん、この名がつくにはそれ相応の理由がある。お尻でナンバーワンになった人なのである。話を聞いてみたい。
そう思って私はその店に客で入った。「プレイは不要なので、話を聞かせて欲しい」とお願いしたところ、イブさんはあっさり承諾してくれて、ただただ話を聞かせていただいた。
この世界じゃ当たり前の話だが、営業的なウソやプライバシー保護のためのウソもおそらく入っているであろうことを前提に、イブさんの話を以下にそのままご紹介する。
※大門の表示。今は交差点の名称としてしか残っていないが、いつの頃からか、遊廓時代の通り名などが表示されるようになっている。たぶんこの十年程度のことではなかろうか。
この仕事は十二年
「ごめんなさいねえ、こんな声で。電話に出ると、男の人かと思われるのよ」
思い切りハスキーである。
「これでもねえ、ポリープを切ったから、いくらかよくなったんですよ」
—酒? それともカラオケ?
「皆さんそうおっしゃるけど、私はしゃべりすぎじゃないかと思うの。ずっとしゃべっているでしょ」
「恥ずかしいけど、十二年になります」
これは吉原にいた年数。その前がある。
「ソープランドの最初は横浜でした。うちが横浜なんですよ。それからちょっと地方に行って。千葉と甲府と沼津と」
—甲府にもソープはあるんでしたっけ?
「うん、十軒くらいある」
—ないのは長野か。
「そうそう。だから、長野のお客さんが甲府まで車を飛ばして来る。甲府の隣に石和温泉があるでしょ。そこに遊びに来たお客さんが甲府にも遊びに来たり。前にソープランドで友だちになった子が、石和でコンパニオンをやっていて、びっくりしましたよ。“あんた、何してきているの”“仕事よ、あんたは何しに来ているの”“私も仕事よ。甲府のソープランドに来ているの”“私は石和のコンパニオンよ”って」
石和温泉はコンパニオンで知られるが、やることはソープランドと似たようなものだ。
—ソーブランドで働く最初のきっかけは?
「男ですよ。決まっているじゃないですか。ヘンな男だったもんですから。“ソープランド行ってこい“と言われて、“じゃあ、行ってくるかな”ってもんですよね」
またあっさりした説明である。
※大門に立つ見返り柳。交通量が多いため、排ガスで枯れやすいらしく、その度に植え替えている。現在の柳も葉がなく、枯れてんじゃないのかな。
受付嬢時代
ソープランドに至るまでを簡単に説明しておく。
イブさんは横浜の学校を出たあと、商社に就職して、受付嬢をやっていた(商社名もおおよそわかったが、有名商社である)。今は受付嬢は派遣が多いが、当時は社員がやっていたよう。この当時から、愛想がよく人気が高かったであろうことが想像でき、受付嬢という仕事柄、声をかけられることも多かったに違いない。
「社員とはしなかったですけど、出向に来ていた人とか、取引先の会社の人とかと遊んでましたね。あの頃から、ヤるのが好きだったんでしょうね。でも、今考えたらよ。その当時は、その人が好きだと思ってセックスしていたんですけど、本当は、単にヤりたかっただけだっただけ(笑)」
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