松沢呉一のビバノン・ライフ

偶然に意味を見出す無意味-『東電OL殺人事件』を斬る 3-[ビバノン循環湯 60](松沢呉一)-9,007文字

「佐野眞一の闇-『東電OL殺人事件』を斬る 1」

「ベンツで出勤する風俗嬢-『東電OL殺人事件』を斬る 2」

の続きです。

 

 

取材不足、理解不足を闇でごまかす

 

vivanon_sentence東電OL殺人事件』には、大きくふたつの柱がある。第一の柱は被害者の「心の闇」を探ること。第二の柱は逮捕されたネパール人の冤罪を晴らすことである。

IMG_6674「被告は本当に犯人ではないのか、犯人ではないとしたら真犯人は誰か」を判断する根拠を私はもたないのだが、佐野氏の記述を読む限り、決定的な証拠がないのだから、裁判上、被告は無罪になるべきだろう。

警察が予断をもって捜査を進めたのと同様、佐野氏自身、この事件は冤罪であるとの予断で取材を進めているのだが、権力の暴走に対抗するためにはこういうやり方があってもいいとは思う。あくまで「やり方として」であって、本書において、それが有効に働いているのかどうかは別問題であり、これについてはのちほど検討する。

私がここで問題にしたいのはもうひとつの柱だ。そもそも売春をするのに「心の闇」なんてあるのか。もちろん、表面的にはわかりにくい精神的なものが背景に存在しているケースはあるだろう。しかし、この本においてはそうであることの十分な根拠は提示されておらず、ありもしないものを設定することでプライバシーを暴く名目を作り、本を無味乾燥のものにしないためのセールスポイントを作っただけではないのか。売らんがための被害者のプライバシー暴き。その疑いを私は拭うことができない。

というのも、第二の柱のためには、ネパールにまで行きながら、第一の柱については、たったの一人として、被害者同様に性風俗産業に従事する女性らに取材をしていないのだ。すでに見たように、存在するかどうかもわからない関係者の言葉を紹介するに留め、しかも、その内容はムチャクチャ。

「心の闇」とやらを本当に知りたいと思っているのなら、真っ先にこの作業をやるべきだろう。ネパールよりはるかに遠い国の売春婦に取材しなければならないのではない。この東京で取材すればいいだけだ。

たった一人の風俗嬢の話に素直に耳を傾けるだけで、佐野氏の思い込みのかなりまでが払拭されたことだろう。ただし、佐野氏にそれができるかどうか疑問ではあり、「売春をする女たちの誰もが理解を超えた闇を抱えている」と言い出しそうでもある。

※今も残る犯行現場のアパート

 

 

「自分だけが偉い」と思い込める異常

 

vivanon_sentence佐野眞一氏の独善的な考え方は被害者のプライバシー暴き以外でも存分に発揮されている。

 

人権、人権といいたてるだけで、人権回復の具体的なアクションを何ひとつ起こそうとしない人権派といわれるわが国の困った人びとのグループにもあてはまる。人権と一言叫ぶだけで、本当に人権が回復し、死刑になるかもしれない恐怖からたちまち解放されるなら、何も私も好き好んでネパールくんだりまで出かけてくることもなかったろう。(P112)

 

心の闇、心の闇といいたてて、プライバシー侵害をやってのけるくらいなら、人権、人権といいたてるだけで何もしない人の方がずっとましである。

佐野氏は、この文章に見られるように、しばしば「人権派」を揶揄し、それと比較することで自分の素晴らしさを強調したがる。しかし、ちょっと待っていただきたい。佐野氏の理解によると、この国の「人権派」というのは、「人権、人権といいたてるだけで、人権回復の具体的なアクションを何ひとつ起こそうとしない」そうである。

これまでの数々の冤罪事件においては、弁護士たちが、手弁当の弁護活動によって無罪を勝ち取り、権力犯罪を暴いてきた。これをさまざまな団体や個人が物心両面から支えてきた。私の知っている範囲でも、自腹でこういう活動をやってきた弁護士がいるし、東電OL事件でも同様だろう。

原稿を書いたり、本を出すことで銭稼ぎをやる商売に従事している佐野氏が、おそらくは出版社に経費を出してもらって仕事でネパールに行ったくらいで、こういう人たちを嘲笑してみせる。佐野氏の驕りの方がはるかに困ったものである。

私もネパールには行ったことがあるが、暇と金があれば誰だって行けるってえの。そんなことをしたところで冤罪を晴らせるわけがないことを知っているから皆さん行かないだけでしょうに。

いわゆる人権派を全肯定する気はさらさらないが、同じく原稿を書くことでメシを食う商売に従事している私は、ネパールには取材に行っても、取材もしないで売春する者の心理を薄っぺらで、俗な好奇心のみで支えられた理解力と想像力で推理してみせる佐野氏なんぞに、人権派を嗤う資格などこれっぽっちもありはしないと断ずる。風俗ライターほどの取材力もないノンフィクション作家が何をほざいているのか。

佐野氏は「新潮45」というメディアに受けのいいように、こういうフレーズを書いてみせたのだろうが、佐野氏の文章は、アホな読者が興味をひくようなあざといテクがふんだんに使用されていて、現実がどうなのかは二の次になっている。だから、これっぽっちも被害者に迫れていない。

追記:佐野氏のネパール取材についても疑惑が出ている。又聞きなので触れないでおくが、詳しいことを知っている方がいたら、こっそりメールをください。

 

 

思わせぶりの連続で構成される本

 

vivanon_sentenceこの本の第一章は円山町という場所が如何に特殊かの描写に費やされる。

 

最初の不思議な暗号は、彼女が殺害された渋谷区円山町それ自体にひそんでいた。(P10)

彼女は一体、この街のどこにひきよせられていったのでろうか。出没先はなぜ大久保や池袋ではいけなかったのか。(P19)

 

簡単だ。渋谷は被害者にとって通勤先から自宅に向かう経由地だったからだ。昼の仕事だってあるのだから、時間の無駄を避けたのだろう。彼女が休みの日のみならず、平日にも頻繁に横浜にでも出没していたら初めて不思議に感じていい。

そう考えるのが自然なのに、あたかも渋谷という街自体にも「闇」があるかのように書き、この事件が、そして彼女の行動が謎めいたものであったかのように尾ひれをつけて事件を娯楽として演出していく。

渋谷は他の歓楽街にはない特色が数々あるのは事実かもしれない。しかし、それで言うなら、歌舞伎町も大久保も池袋も、あるいは上野も吉原も錦糸町も五反田もそれぞれに特殊である。仮に被害者が別のどこで殺されていたのだとしても、著者はその街を謎めいた特殊な地であることを描写したはずだ。

IMG_6711たとえば渋谷は円山町という花街とともに発展した特色がある。そして、新宿は十二社や荒木町という花街とともに発展した。浅草や池袋、赤坂、新橋も同様。

渋谷はその名称通り谷になっていて、坂が多い街である。円山町には今も坂や階段がやたらと多い。そして、白山や神楽坂、赤坂などの花街も同様。

こんなことをいくら論ったところで意味などない。

佐野氏は、渋谷のホテル街はダムで村が水没した岐阜の人達によって始まったとしてダムを訪ね、また、被害者の父親の生家を探して山梨にも行く。そこで、被害者が利用していた京王電鉄の車両が使用されていることを発見する。

「偶然の一致というにはあまりにも出来すぎたその奇妙な暗号」と著者は書くのだが、誰がどう考えてみてもただの偶然だ。「ムー」のライターかよ。

偶然の一致を前にしてたじろぐことは誰しもある。しかし、そこにことさらな意味を見出すのは陰謀論やオカルトに見られる手法であって、そんなことをやっている暇があるなら、先に調べるべきことがあるんじゃないのか。

 ※今も円山町には料亭が多く残っている。

 

 

ノンフィクションに向いてないノンフィクション作家

 

vivanon_sentenceこの人はノンフィクションに向いてない。事実を確認することよりも、自分勝手な想像を広げることに熱心なのである。

ネパールから日本に出稼ぎにきた外国人労働者と、東京電力に総合職で入った慶応大学経済学部出身のエリートOLは、常識的にいえば、お互い絶対に遭遇することのない相手だった。その二人が時代の撹拌にきりもみにされ、円山町に吹きよせられた。そして円山町の強い磁力が二人を衝突させた。二人の衝突は、わが身を六道遊行に沈淪させた泰子の神々しいまでまの「大堕落」と、ゴビンダの浅ましくもケチくさい「小堕落」ぶりの対照を、玻璃のなかに映る影絵のようにありありと浮かびあがらせた。(P335〜336)

何を言いたいのかよくわからん。あの当時の報道同様、佐野氏がこうもこの事件にこだわる理由は、被害者が一流大学出身で、一流企業のOLだったことだけはよくわかる。今も「有名大学女子大生と遊べる風俗店」「現役慶応大学生がAVで生唾プレイ」という記事がよく出ているが、それと一緒だ。佐野氏はこのような肩書に欲情する客と同レベルの好奇心でこのルポを最後まで書き上げたと言っていいだろう。

社会的に認知された立場にある女が、性を享受したり、まして、それを仕事にするはずがないという思い込みとのギャップに欲情するってわけだ。言い換えるなら、性を仕事にするような女は、社会の枠組みから外れた特別な女でなければならないということだ。

東京のヘルスなら、四大、短大、専門学校を合わせて現役学生が2割程度はいる。渋谷の風俗店はこの率が比較的高く、中には現役大学生だけで在籍の3割を占めるという店まである。なぜ渋谷は学生率が高いかと言えば、学校と自宅と遊び場との利便を考えてのこと。あるいはある程度わかっている場所を選択するためである。店の側からすると、渋谷でスカウトすると、必然的に学生が混じってくるためである。渋谷という謎めいた磁場のある場所に吸い寄せられるためではない。

身元がバレることを恐れて、女子大生であることを客には言ってなかったり、雑誌では語らないようにしているのも多いため、客でついただけではわからないだけのことだ。

私の知り合いでも、被害者と同じ慶応大学在学中からソープランドで働いていたのがいる。あるいは大学教授の娘で、父親と同じ大学に在籍しながら、やはりソープランドで働いていたのがいる。それぞれに理由はあろうが、その理由は話を聞けばたいていは理解ができて、理解不能な「心の闇」を持ち出す必要などない。

では、現役女子大生風俗嬢にも、佐野氏のためにインタビューしてみるとしよう。思う存分欲情するといい。

 

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