クラウドファンディングで新たな局面に-厄介な「レイシストカウンター」批判 4(松沢呉一) -2,301文字-
「出演することの責任-厄介な「レイシストカウンター」批判 3」の続きです。
事態は急展開
昨日の朝、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬のツイート。
個人に向けたメールを他の人に見せたのはあんまり行儀がよくなくないかと思って、Facebookでは伝聞として書きましたが、このメールを私は当時見ています。丁寧かつ的確な文章でした。
それを読んだ時点では私はすでに辞退をしていたのですが、私は私が辞退する事情を説明しただけだったのに対して、そのメールでは、辞退をする理由に重ねて「やり直せ」と促していて、これを読んだら、さすがに考え直すだろうと思えるものでした。
しかし、わたなべりんたろうはそのアドバイスを聞くことはありませんでした。使えなくなった映像が増えたとしか思わなかったのでしょう。「その代わりをYouTubeで探さなきゃ」とでも考えたのかもしれない(すでに書いたように、彼自身は映像を探す作業もやっていないのですが)。
各自判断すべし
続いて野間易通が謝罪と事情説明。
数日前にやりとりをしていて、その段階ではまだ甘っちょろいことを言っていたため、私は叱っておきました。さすがに反省したと見えますが、「謝罪せよ」とか「中止を申し入れろ」とまでは言ってません。あとは彼の判断。
清義明には、出演を承諾したことを知ってから、「なんでまた」とその理由を聞いています。「自分が求められるサッカーの話をしただけ」とのこと。
「産経新聞」や「正論」であっても、原稿依頼やインタビューの依頼があったら、「自分の書きたいことを書ける」「言いたいことを言える」という条件である限り、私も受けることはありましょう。「あんたのところは何を考えているのか」くらいのことは言うにせよ、誰がどこに書いて、どこでインタビューを受けるのかについて、それ以上とやかく言うべきものではない。
山口祐二郎がどこに書こうがとやかく言うべきではないのと同じです。私は山口祐二郎を擁護しましたが、あん時にとやかく言っていた人たちは、「レイシストカウンター」に出た人たちにもとやかく言わないとスジが通らないので、頑張ってください。
その後、アップリンクの上映会で、清さんがトークゲストにまで出たことを知り、それは映画を推奨することであって、「やりすぎ」と伝えてます。これによって木村元彦さんは映画を観ることになり、一気に表面化したのですから、意味があったと言えますけどね。
しかし、出演した映画を悪く言うのは信義に反するので、映画に詳しい清さんには、他のすべてが批判に回っても、最後の最後まで擁護し続けて満身創痍になって欲しいとも伝えてました。映画的にはこの役回りが必要でしょう。
なお、この中で著作権についても触れていて、監督が著作権について「問題ない」と言っているとの話は私も聞いています。これについてはこのあと確認していきますが、その言い分が通るのかどうかについても清さんには説明してあります。
そして、「ルーフトップ」のインタビューは非公開に。
「ルーフトップ」のインタビューが消えたのは、Facebookでのやりとりから。これも私は「消せ」とは言っておりません。今後、監督が何を言っているのかを検証していくためには、注釈をつけて残す手もあったと思いますが、これはロフトの梅蔵君自身の判断。みんな自分で判断するといいと思いますよ。最初からそうしていたらこうはならなかったんですから。
それ以外に、表でも裏でもいろいろと展開があって、そのために予定が全部狂ってきていますが、「ビバノン」では淡々と続けることにします。
クラウドファンディグで変わった局面
「辞退組」では「この映画はどうせポシャる」と考えていたことはすでに書いた通り。しかし、制作費もカンパで賄ったため、完成させないわけにはいかず、上映しないわけにもいかず、無理矢理映画を形にして、東京と大阪のロフトプラスワンで内輪を集めた上映会をやってシャンシャンシャンで終わらせるんじゃないかとも話してました。
昨年暮れのこと。「レイシストカウンター」のクラウドファンディングの呼びかけを見て、「これだけの人が出演することにしたのか」と驚くとともに、この呼びかけ自体に驚きました。
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