松沢呉一のビバノン・ライフ

今もいる家出少年少女たち-ノガミ旅行記 [4]-(松沢呉一)-5,601文字

「知られざる魔窟・竹の台会館-ノガミ旅行記 [3]」の続きです。

 

 

 

ホームレスも花見?

 

vivanon_sentence再び花見客が席を陣取っている道を抜ける。平日の昼間でも、サラリーマンやOL風の人達がどんちゃかやっている。

中にはホームレス風が、ぼんやりとシートの上に座っていたり、寝ていたり。

「ホームレスも花見をするんだなあ」

私がそう呟いたら、すぐさま千鶴さんが否定した。

「あれは、席取りをしているのよ。サラリーマンが仕事を休んで場所を確保するより、彼らに千円二千円渡して、場所を取っておいてもらった方がいいでしょ」

なーる。この時期は食べ物や酒もふんだんに手に入り、金の落とし物も多そうだから、ホームレスにとってはかき入れ時だったりするのかもしれない。

場所取りは昔から彼らの仕事だった。

 

「駅の構内には、泊まり込みの乗客の代わりに場所をとっておき、客にその報酬を求める“所場屋”が数十人も横行していた。二十年の暮れ頃は、ルンペンに客を頼んで席とりをしてもらい、一人分一〇円ぐらいであったのを、二十二年くらいになると、福田武男を中心とするグループが、ショバ屋全体を登録させる“システム”?を確立、ピンハネで数千円の収入を得る、という場面もあった。(前掲『東京闇市興亡史』)

 

福田武雄というのは、上野に勢力を持っていたテキ屋グループ「血桜団」のリーダー。戦後間もなくは電車の席とりだったショバ屋が、今は花見に活躍するというわけだ。今でも便利屋なる商売の人達が進出して、浮浪者たちの仕事を奪っていそうだな。

と、そこに人だかり。なんだなんだと思ったら、警官二人に酔っ払いのホームレスがからんでいる。一人の警官は、男が手を出したら、すぐに捕まえようと構えているんだが、ホームレスは警官馴れしているようで、殴るふりだけして、決して本当には殴らない。これでは警官も手を出すわけには行かず、罵倒されながらもジッと耐えている。ホームレスはパクられない程度に警官を刺激し、警官はパクれるまで耐える。緊張のあるやり取りである。

しかし、「警官もだらしねえなあ。二人もいるんだから、さっさと捕まえればいいだろうに」なんて野次馬から声がでる。こういう浅知恵には、彼らの微妙な駆け引きは理解されず。困ったもんである。

五分ほど見物したが、膠着状態が続くばかりであった。

※血桜団という名称は戦前不良グループも名乗っていて、戦後の血桜団の前身かもしれない。

 

 

五十人は軽くいる

 

vivanon_sentence騒ぎから離れて、不忍池方面に向かう。

「今、歩いていた女もそうよ」

次から次と千鶴さんは指摘する。

「見慣れた顔?」

「いや、今日、初めて見る。でも、あれは間違いないわね」

「こんな様子じゃ、上野公園全体だと、五十人やそこらはいるんじゃないの」

「軽くいるわよ」

夜の部と昼の部を合わせると、百人を越えそうだ。

「それも同じメンツじゃなくて、現れては消え、現れては消えていくから、一年間で、一体何人の女が商売をしているのか、見当もつかないわね」

これが上野の特性。とくに「昼の部」は出入りが多いのである。

この特性は戦後まもなくでも同じ。雑誌「りべらる」(太虚堂書房)昭和二十三年二月号に掲載された「夜の女の生態」でも、そのことが窺える。これは田村泰次郎が、宿(ジュク)のお政(三一)、夜桜のおなみ(二二)の二人のパンパンに話を聞いたもの。おなみは上野のパンパン。

お政によると、この段階で新宿には四十人ほどのパンパンがいると言っている。対して、上野のおなみは「ちょっとわかりません」と言っている。街の範囲が広いのと、新規参入が常にいて、グループの組織率が低かったためだ。ノガミは地方出身者が出てきやすかったが、東京の事情がわかるに従い、別の場所に移動する。短期で稼いで田舎に戻るのもいる。

この事情は今も変わらず続いている。

 

 

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