ノゾキや露出マニアが蝟集する上野-ノガミ旅行記 [9](最終回)-(松沢呉一)-6,213文字-
「パンパンたちはなぜ消えたのか-ノガミ旅行記 8」の続きです。「ノガミ旅行記」はこれで終わりですが、ノガミについての原稿はまだまだあります。
街娼の変質
前回引用した講演録で、雪吹周は、集娼と街娼との違いを論じている。集娼というのはひとところに集まって売春をするスタイル。遊廓や赤線がその筆頭。対して散娼はとくに場所を限定しないスタイル。店が散り散りでも散娼と呼べるだろうが、ここでは街娼のようなスタイルを指す。
戦後間もない時期の街娼は好奇心、虚栄心からなった者がよくいて、学歴が高かったのはここまでにも説明してきた通り。
女子大卒業生なんというのも扱いましたし、専門学校卒業生、女子大中途退学者も相当数おりました。旧制女学校はザラでした。
しかし、徐々にこういった層は減って、経済的事情で街娼になったものが増えていく。終戦直後の方が貧困のために街頭に立ったのが多そうだが、現実は逆なのである。
このような変質が生じた理由はいくつか考えられる。好奇心で始めた女たちは、好奇心を満たした段階でやめるのもいたろう。とくにこういう層は洋パンに多かったわけだが、進駐軍が徐々に東京では減っていき、占領が終わってからは継続して残った米軍基地のみに客がいた。それとともに地方都市に散ったのもいたはずだ。もちろん米兵と結婚したのもいた。いずれにしても、経済的な事情ではないのだから、やめやすいわけだ。
残った層はやめられない人たち。それだけに、以前よりも街娼たちは更生が難しくなり、また、集娼では、もともと経済的事情による者が多いため、事態はより深刻であると雪吹周も指摘している。
貞操観念の強化が売春をする女たちを作り出す
雪吹周は「自由に仕事しておりますパンパン・ガールの場合は、殆どがその世界に入る前に、何か一つの大きな性的エラーをしております」と語っている。強姦、失恋、結婚の失敗などである。それによって自暴自棄になったり、実家にいられなくなったり、といった事情があるわけだ。
一度の失敗で普通の婦人の生活ができないという工合に思い込んでいる。思い込ました教育も悪いが、あまりにかたくなな貞操観念教育をした結果でもありはしないかというふうにも思われます。
一体日本では嫁入りの最も大切な道具として処女を尊んでいる、これは非常に結構なことです。又男性もそれを要求しております。又婦人方も処女であらねばならんと考えております。その要求が強ければ強いほど、又そうしたものの考え方が強ければ強いほど、失敗した時の恐ろしさも強いのじゃないかというふうに考えられます。
この指摘は正しい。厳密な一夫一婦制を説く矯風会のような人たちこそが、処女性や貞操を高め、そこからの逸脱すると、まっとうな女ではなくなったとの烙印を押し、社会的な価値を剥奪された女たちは、別の価値を求めて売春する。売春の価値自体を道徳派が生み出し、そこにミスをした女たちを追い込んでいるわけだ。
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