SEALDsを支持する-おっさん、おばさんも国会前へ。ただし…(松沢呉一) -3,166文字-
若者2000人あまりが国会前で抗議
一昨日は予定通り、国会前に行ってきました。カメラを忘れたので写真はなし。国会前に行く前に築地の銭湯に行っていたのですが、替えのパンツも忘れたので、国会前でパンツをはいていなかったことは秘密です。一度脱いだパンツをもう一度はくくらいならノーパンの方がマシだと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。
若者2000人余 国会前「戦争するな」
安倍政権が今国会で成立をねらう戦争法案に反対して学生たちは19日夜、国会前抗議行動をおこないました。肌寒さを感じる小雨の中、学生や若者たちが次つぎと駆けつけ2千人余に。「安倍晋三から日本を守れ」「戦争するな」と大きく声を響かせました。
主催は、SEALDs(シールズ)(自由と民主主義のための学生緊急行動)。毎週金曜日に実施しています。あいさつした奥田愛基(あき)さんは「そもそも憲法違反で集団的自衛権は認められない。首相は傲慢(ごうまん)で、うそつきです。もうだまってはいられない。憲法守れ。かってに決めるな!」と訴えました。(略)
今日は京都。
それぞれやるべきことをやる
ざっと見ての感想ですが、これからSEALDsは大変そうです。毎週ですからね。人が激増していくことは間違いないので、金曜日に周辺で抗議行動をしているグループとの調整、全体に声を届かせるPAの手配、警察との折衝、取材の対応のそれぞれが激務になっていくでしょう。
どういう方針でやっていくのかについての決定は彼ら自身がやっていくしかない。そこに大人が口出しをすると、ロクなことにならない。
メディアの取材や問い合わせも増えていて、取材も彼ら自身が受けていくしかない。
コールやスピーチの采配も彼ら自身がやっていくしかないでしょうけど、コールひとつとっても、ああいう場で堂々とできる人材がまだ少なくて四苦八苦しているようです。活動の数も人の数も急速に膨れ上がっているので、それに対応できない状態です。
こんな状態の中で、中高年が「私たちにはあのコールは難しい」と言ってくる。事実、デモの時はそういう意見が寄せられていたそうです。
「あ、そうか、自分たちはお呼びでないのか」と気づければいいのですが、気づけない人たちがどうしても出てきてしまいます。お呼びでないわけではないのですが、年配の人たちを優先する必要はない場です。
国会前は「若者」が半分以上だったかと思いますが、中高年も3割から4割はいたと思います。上の記事を見ればわかるように、そこにいてもいないかのようにメディアで扱われる存在ですが、「2千人余」という数字にはなれる。それがあの場での中高年の役割です。ただただ数になりに行くべし。
「脇役では満足できない」という人たちは主人公になれる場に行くべし。なかったら、自分らで舞台を作るべし。
しかし、それが理解できない人たちが今後もどんどん増えていく。となれば、経験値の高い世代もサポートしていく必要があって、解散後、メシを食いながら、おっさんたちで「ワシらができるパートで彼らの負担を軽減していくべ」と話してました。
学生ではない人たちのサポートはすでに始まっていて、一昨日もデカイ図体をしたチンピラみたいなお兄さんやおじさんたちが見回りをしていて警察より怖かったです。あの人たちの言うことは聞いた方が身のためです。
余談ですけど、警察は私を「社長」と呼ぶのはやめた方がいいと思います。年配というだけで無条件に「社長」と呼んでいいのは客引きだけです。
年寄りの対応は年寄りが担当
さっそく一昨日も「列の後ろに並んでください」とスタッフが誘導しようとしたら、「なんで後ろに行かなければならないんだ」「前に行かせろ」と食ってかかるご老人たちがいて、学生は対応できずに呆然としていたらしい。自分らの役割を理解できず、主催の負担を増やすわがままじいさん、ばあさんが今後増えていくことは避けられず、学生では対応が難しい。
この人たちは自分たちの思い通りにならないと、そのうち「権力の犬」呼ばわりをしてくるのがお約束です。
こういう人たちは、年齢の高い世代がなだめるなり、どやしつけるなりするしかないでしょう。
今後私は得意分野の「どやし」を担当して国会前に行こうかと思ってます。若いのがこれをやると、「老人に敬意がない」「最近の若いもんは礼儀を知らない」と相手がさらに攻撃してくる名目を与えます。その点、ワシがやれば年寄り同士の諍いで済みます。
「権力の犬!」
「権力の犬だと思うなら、権力の犬が主催する場にわざわざ来るな、どアホ。うちで盆栽いじってろ」
「年寄りに敬意がない!」
「うるせえ、てめえに払う敬意なんてねえよ、このクソジジイ」
「おまえこそクソジジイだ。くたばれ」
「言われなくてももうじきだ」
といったように、大変面白いやりとりが期待できます。
学生にロビイングを求めることの無意味
中高年は、こういう国になったのは自分らの世代の責任であることを自覚しましょう。責任を若い世代に押し付けないように。
こういうことがあると、必ず「デモや抗議は無効。それよりも、ロビイングをすべき」みたいなことを言う頭の悪いのが出てくるのもお約束で、すでにワラワラ湧いております。
「小学校からの親友が今は議員をやっている」「地域の票のとりまとめをした」「後援会に入っている」「献金をしている」「支持母体の役員をやっている」といった背景があればスムーズに議員や秘書に会えて話をすることができましょう。これを学生に言ってどうするよ。頭パーか。
学生に説教垂れている暇があるんだったら、自分がロビイングすればいい。学生がそれをやるべきであれば、上の世代はましてやるべき。そういうルートがないんだったら、これからはできるように、次は選挙の手伝いくらいやっとけ。それまでは、大人のくせに、そんなツテもない自分のふがいなさを噛み締めて黙っとけ。
もちろん、学生だって、「親が議員」「親が議員と友だち」というのはいるでしょうが、だったら話くらいするだろさ。あそこまでやっている学生だったら、機会があればそうしている可能性があることをどうして想像できんのかね。パーだからですけど。
目的を共有するのであれば、あとは役割分担。得意分野を担当すればいい。もし自分らの行動にとってSEALDsの行動が大きな障害になるのなら批判するのもありとして、世論の盛り上がりを背景にした方がロビイングもやりやすい。その盛り上がりをどこで政治家が察知できるのかと言えばメディアであり、抗議行動です。また、抗議行動があるからメディアは取り上げやすいという関係になっています。
そのパートを学生たちがやってくれているんだから、「あれだけでは足りない」と思うなら、あとはてめえが動くだけ。
関心がないなら黙ればいい
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