怒りが社会を変える-ACT UP 1(松沢呉一)-2,407文字-
ACT UPの始まり
先週金曜日は国会前に行き、そのあとDJ TASAKAのニューアルバム「Up Right」発売記念イベント「Act Up Right」に行きました。
このイベントは前半が映画「怒りを力に―ACT UPの歴史(UNITED IN ANGER ―A HISTORY OF ACT-UP)」の上映でした。
以前から観たいと思いつつ、毎度機会を逃していて、非常に刺激的な内容でした。もっと早く観ておけばよかったと悔いましたが、連日、国会を数万の人がとり囲む今だからこそ観るべきかもしれない。
このトレーラーにあるように、1980年代、レーガン政権はエイズに対して無策であり、その対策に税金を使おうとしてませんでした。国民の半数も患者の隔離に賛成、15パーセントは患者を見分けるためのタトゥを入れることに賛成。政府も多くの国民も「ゲイと薬物利用者という社会の厄介者たちはそのまま消えてしまえばいい」と考えていたのではないかと疑える時代でした。
それに対して、1987年、この映画の主人公である団体ACT UPがスタートします。この時点で米国内でのエイズの死者は毎年1万人を超え、なおその数字は日々伸び続けていました。殺されないため、収容されないためには立ち上がるしかなかったのです。
沈黙は死
この時、彼らの切迫した目的は治療薬を手にすることにあり、治療薬の認可を早めるようにFDAに要求します。この方法は交渉といったものでなく(それもあったでしょうが)、デモであり、座り込みであり。
さらに自分らの存在を知らしめるため、社員証を偽造してCBSの「イブニングニュース」に乱入し、ニューヨークのグランドセントラル駅を占拠します。
この方法によって、彼らは着々その目的を達成していきます。その様を当時の映像と、生き残った人々のインタビューで構成したのがこの映画です。
当然想像はできるのですが、この当時の映像に出ている人で、亡くなった人たちが多数います。それが誰であるのかわかっている場合には、名前がテロップで示され、亡くなっている人は享年が記載されています。それが1人、2人ではないのです。
映画を観ながら指折り数えようとも思ったのですが、あまりに多くてやめました。名前が出ている人の半数を超えているのではないか。
米国では、1995年、エイズによる死亡者は男子25,277名,女子5,853名をピークに減少をしていくのですが、一人一人の顔を見ることで、この数字のリアリティを実感することができます。身近なところでバタバと人が倒れ、そして亡くなっていく。
まさにそんな時代の闘いを描いたものであり、これはほとんど戦争に近い。黙っていると殺される。声を出してもなお死んでいく。
彼らの最初のキャンペーンが「SILENCE=DEATH」であり、上はそのポスター。このポスターは私も知ってましたが、この映画を観ると、数字でとらえる「死」とは意味が全然違ってきます。「死」はすでにそこにあるもの。自分の身に遠からず訪れるものです。黙ってそれを待つのか、声を上げるのか。
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