松沢呉一のビバノン・ライフ

あの時代と今が重なる-ACT UP 3(松沢呉一)-2,369文字-

今の日本が必要とするもの-ACT UP 2」の続きです。

 

 

ACT UPが残したもの

 

vivanon_sentenceACT UPの行動はさまざまなところにつながっています。

彼らの行動はウォール街で行われています。ウォール街のオキュパイに先行し、影響を及ぼしていたのがACT UPであり、オキュパイ運動の中でも、「怒りを力に」は上映されたらしい。

 

 

これは「UNITED IN ANGER ―A HISTORY OF ACT-UP」の前に作られたドキュメンタリー「ACT UP, FIGHT BACK, FIGHT AIDS」の抜粋のようです。このタイトルは、ACT UPのシュプレヒコールです。

ここにもウォール街での行動が記録されています。

ACT UPの動きは、直接の影響を与えたわけではないにしても、日本にもつながっています。

 

 

ACT UPに見いだす我々の姿

 

vivanon_sentence怒りを力に―ACT UPの歴史」を観ていて、「命がかかっているとは言え、ACT UPの活動家たちはすげえなあ」と感心するとともに、「日本の昨今の運動とも近い」と感じる点が多々ありました。

ACT UPに蝟集した人たちの多くは、それまで社会運動とは無縁でした。HIVは思想で人を選別するわけではないので当然のことです。

左派の運動体や労働組合にも感染者はいたはずですが、多数派は世間一般と同じく、同性愛を嫌悪していたため、ACT UPは既存の運動体からの支援のないところから始めるしかありませんでした。何もないところから始めたのだし、何もなかったからこそ新しい動きを作れたのだろうと思います。守るべき組織なんてなかったことが突破する力になった。

これはTwitNoNukesを筆頭IMG_0516とした3.11以降の動きともつながってます。社会運動なんてしたことのない20代の平野太一の呼びかけで始まったのがTwitNoNukesです。

もちろん、ACT UPほど孤立していたわけではなく、なんやかんやとやってきた「素人の乱」が反原発運動の突破口になったのですし(右の写真は高円寺デモ)、反原連の中心的存在のひとつであるたんぽぽ舎のように、古くから活動をしていた団体もあります。

しかし、3.11以降動き出した人たちが多数いたから大きなうねりを作り出しました。新しい時代には、新しい社会を理解している新しい世代が必要なのです。

 

 

行動する人たちの共通項

 

vivanon_sentenceプロデューサーのサラ・シュルマンは前回取り上げた「The ACT UP Oral History Project」についてこう語っています。

 

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