松沢呉一のビバノン・ライフ

高橋由伸と武藤貴也の下半身-アウティング再考 4-(松沢呉一) -3,115文字-

「週刊文春」批判の側に見られる同性愛のタブー視-アウティング再考 3」の続きです。

 

 

高橋由伸と武藤貴也の下半身に違いはない

 

vivanon_sentence「週刊文春」の9月10日号でも、引続き、武藤貴也議員の記事が出てました。今回は巻頭記事。前号より扱いが大きくなっています。SEALDsの記事も出ていましたが、【安倍首相に「バカか、お前は」 SEALDsって何者】は4ページ、【武藤貴也議員 釈明会見後も「今夜会える?」と口説きメール】は5ページ。SEALDsよりも武藤議員にニュースバリューがあるってことです。ま、武藤議員のデタラメぶりは週刊誌としてはおいしいネタですしね。

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この号は読みどころが多くて、【巨人・高橋由伸「乱倫なベッド写真」】という記事も出ています。こんなもんでも公共の利害に関する内容で、目的に公益性があるとみなされ得ます。まして、公人たる国会議員の性行動は暴露されてもやむを得ないでしょう。それが同性愛であろうとも。

この号においても、買春したこと、議員宿舎で彼らとの行為が繰り返し行われたことを問題としています。さらには、武藤議員の人間性にも迫っていて、同性愛者であることを揶揄するような内容ではありません。

高橋由伸がクラブママとセックスをしたことは報じられてよく、武藤議員が買春したことを報じるのは差別的であるとする主張は成立しようがない。異性愛であろうと、同性愛であろうと、等しく扱えばいい。むしろ、純然たる公人である武藤議員こそ、晒されていい。その間に線引きをして、「同性愛者については特別扱いにして、報じてはいけない存在にすべき」という姿勢こそが、その存在を隠蔽して、カミングアウトしにくい社会を作り出す。

 

 

ホモフォビアを糾弾する側のホモフォビア

 

vivanon_sentenceというのがここまで私が書いてきたことですけど、私が書いていることがまったく理解できなかったようで、Facebookで、相変わらず報道を批判するコメントがついて愕然としました。

 

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私の指摘は「こういう報道を批判する人たちにこそ、同性愛を忌避する心理が存在していているのではないか」というものであり、どうやったらこう読めるのか理解不能です。もう少し踏み込むと、「あなた方の中にあるその意識はホモフォビアにも通じるものなのではないか」と言っているんだけどなあ。

このコメントを見て、人はいかに自分の中にある意識を抽出するのが難しく、自分の内部に向けた批判をメディアのせいにしてごまかしてしまうのかを目の当たりにした気分です。もちろん、大多数の人たちは私の意図を正確に読み取っているだろうとは思いますけど、少数であれ、確実にこういう人たちがいるわけです。

こういう人たちは、「私はゲイですが、プライドパレードのようなことをする人たちによって肩身の狭い思いをしています。あのような恥晒しはやめて欲しい」といった「当事者」の意見にも簡単に同調してしまいそうです。

 

 

クローゼットなゲイとオープンリーなゲイ

 

vivanon_sentence「週刊文春」の記事を受けて北丸雄二さんのツイートが炎上したのもこれに関わっていそうです。考え方はさまざま違いがあって、すべてに合意できるわけではないですが、北丸さんの言いたいことはよくわかります。

具体的な局面を考えるとなおはっきりします。同性婚を論じる場で、日常はヘテロとして生活しているクローゼットな匿名アカウントが「私も当事者ですが、そんなものは必要がありません」と意見を言う。これを当事者の意見としてカウントする必要があるのか? ないでしょう。

彼なり彼女なりはヘテロとして生きているわけです。それを自ら選択し続けている。ヘテロとして生きていく選択をしている以上、同性婚には最初から無関係です。

 

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