著作権とパロディ—多摩美の騒動とSEALDsのTシャツ 1-(松沢呉一) -2,596文字-
SEALDsのTシャツに無粋な解説をする事情
いいっすね、SEALDsのTシャツ。
SEALDsのメンバーが着ている例。
このTシャツを着ると、こんな感じに若々しく見えるのか。モテモテだな。と思うと大きな間違いですので、私は見るだけにしておきます。
ちょっと前に、Facebookで私はこう書きました。
こんなことをいちいち説明しなければならないのは無粋です。しかし、これをやっておかないと、SEALDsを批判しないと死んでしまう連中が飛びつきます。
また、佐野研二郎のパクリを探すことで勢いづいた人たちが、なんでもかんでもパクリだと騒ぎ出す風潮に巻き込まれかねない。
でも、こうやって説明したところで、困りはしない。元ネタをばらされても成立するのがオマージュであり、パロディは元ネタがわからないと成立しにくいものです。
著作権法とパロディ
より正確なことを書いておくと、現行の日本の著作権法では、パロディあろうと、オマージュであろうと、コラージュであろうと、これらはまとめて無断複製になってしまい、手が加えられている分、著作者人格権も侵害していると解釈され、もし著作者、著作権者から訴えられると負ける可能性が十分にあります。
しかし、これらの表現が訴えられる可能性は低い。コラージュはともあれ、パロディとオマージュはまず訴えられない。過去に訴えられたのは、商品名のパロディです。吉本興業の「面白い恋人」。この場合は商標権の侵害と不正競争防止法違反なので、著作権とは無関係。
著作物の引用についての判例として、藤田嗣治絵画複製裁判と並んで重要なマッド・アマノのパロディ裁判がありますが、あれはパロディというより、コラージュ作品というのが私の考え。
対象となった白川義員の作品自体に対する批評性は薄く、かつオリジナル作品はマッドアマノ作品を見て広く認識されるものではなかったため、自分で撮ってもいい素材の借用と見るしかないでしょう。
あのようなコラージュもまた容認されるべきという意見も当然あるわけですけど、「バロディでも訴えられる」という例としては適切ではなかろうかと思います。
法律上、パロディはどう定義されるのか
「パロディとは何か」という定義が日本では明確にされていないので、あの作品をパロディだとしても間違いではないわけですけど、以下見ていくように、法でこれを定義していくとなると、あのような作品はパロディとして保護されにくいと思います。
なぜパロディやオマージュが訴えられにくいのかと言えば、パロディの対象となるオリジナルの著作物の著作者も、「これはパロディ」と認識するからであり、オマージュであればたいていの場合、腹を立てないからです。
なおかつ、もし訴えた場合は、社会的反発も生じるため、裁判で勝てても得るものが少ない。その程度には日本でもパロディはすでに受け入れられています。
だったら、少なくない国でそうしているように、パロディは著作権行使の例外規定として、合法的に公開できるようにしていいし、事実、そういう動きもあるのですが、遅々として進まない。なぜでしょうね。
定義が難しく、どこでどう線引きするのかが難しいからです。
多摩美の卒業制作騒動を検証する
その難しさを実感するのが多摩美の卒業制作の「パクリ」騒動です。
ざっくりこの騒動をまとめると、「今はパクリの発掘がPV稼ぎになると見たクソサイトが、絵に添えられた文字を読むこともなくパクリだと断定し、生まれてから一度もパロディとは何かを考えたことのないクソどもや多摩美のサイトをチェックすることもなく、また、チェックしても判断ができないリテラシーのないクソどもが飛びついて騒いだ」と言っても間違ってはいないと思いますが、そこで留まるわけにはいかない内容を含んでます。クソどもを批判する側もまたもう一歩踏み込むべきです。さもないと同じレベルに留まります。
(残り 1056文字/全文: 2797文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ