松沢呉一のビバノン・ライフ

誰が誤解を拡大したのか-バター犬と性差別 2-(松沢呉一) -2,718文字-

前提をとり違えた批判は無効-バター犬と性差別 1」の続きです。

 

 

 

わずかな可能性を根拠に差別だと言い得るか

 

vivanon_sentence前回書いたように、「バター犬」という言葉は古市憲寿が警察の数字を無批判に肯定とした様を揶揄したものであり、当然の揶揄かと思います。

ここから上野千鶴子との関係だと連想したのは無理があるわけですけど、その解釈が入り込む余地がゼロではない。

番長の直前のツイート。

 

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ここでも上野千鶴子の名前は出ていませんが、SEALDsの女子によるスピーチをバッシングしていた人たちの中で、もっとも知名度があるのは上野千鶴子です。

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その上野千鶴子と古市憲寿は師弟関係にあると知っている人、さらに言えば古市憲寿が上野千鶴子に媚びへつらっている現実を知っている人、あるいは現実はともあれ、そういったイメージをあらかじめもっている人であるなら、「バター犬」をその関係を揶揄したものと受け取る余地はあるでしょう。しかし、「ほんの少し」「ごくわずか」です。

この前後で番長が書いているのはもっぱら8月30日の国会前の行動についてであり、とりわけ人数のことです。つまり、当該のツイートはSEALDsの女子メンバーのスピーチにインネンをつけてきた人びとのことを受けたものではなくて、国会前に集まった人たちの人数についての一連のツイートの流れにあると見るのが自然です。実際、その範囲でしか語っていないツイートですから、そこに上野千鶴子を持ち出す必然性がない。

 

 

どこから始まった誤読か

 

vivanon_sentence「それでも自分は現に上野千鶴子との関係を揶揄したと受け取った」と主張する人がいるかもしれないですが、それが後付けでしかないことは、現実にどう批判が起きてきたのか、どこから上野千鶴子をからめた批判だという人たちが出てきたのかを見ていくことでも確認できます。

実際にそうとらえた人たちがいたのは事実として、純然たる自分の判断でそう受け取ったのではなくて、すでに誰かがそういう見方をしていたから、そう受け取っただけだったという意味。他者の謝った解釈に無批判に乗ったわけです。

この言葉を性差別として問題視する人たちが現れるのはツイートがなされた翌日のことです。それまでは、上野千鶴子とまったく関係がない下卑た表現として番長のツイートは批判されていました。たとえば未だその定義を理解せずにヘイトスピーチとからめるような人たちによる批判です。自分の無理解を武器にして、「ヘイトスピーチを批判する側がヘイトスピーチをしている」と叩く連中です。

叩きたくて叩きたくて仕方がないこの連中がどうして上野千鶴子の名前を当初は出していないんでしょうね。そういう読みがあることを想像だにしていなかったからでしょう。

番長のツイートに共感するにせよ、批判するにせよ、正しくこの揶揄が意味するところを受け取っていて、これを受けて橋下徹に対して「安倍のバター犬かよ!」という言葉も出ています。

 

 

 

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これを具体的な肉体関係があるものとして受け取る人はおらず、「媚びる様」を表した言葉として、そのまま転用をしています。この段階での「バター犬」はとくに性別を問わず使用できるものでしかありません。直接指し示す性別は、「バター犬」というキャラの設定から、男の方が使いやすいとは言えましょうが。

 

 

始まりは2ちゃんねるか?

 

vivanon_sentenceこれに最初に上野千鶴子との関係をかぶせたのは、2ちゃんやTwitterをまとめているクソサイトのようです(おそらく最初は2ちゃんでしょう)。

 

 

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