「シャルリー・エブド」は扇動しているのか?-朝日新聞を添削する 5-(松沢呉一) -2,816文字-
「改めて「シャルリー・エブド」-朝日新聞を添削する 4」の続きです。
プーチンに対する揶揄
それがいかに信仰する人々にとって不快であり、信仰への侮辱としてとらえられるものであっても、前回見たような表現までが法で規制されるべきではない。と私が考えているだけではなくて、ヘイトスピーチ規制法のあるフランスでもそうとらえられてきた。そこからはみ出す表現については処罰されても。
これはソチオリンピックの際に、プーチンに対してなされた戯画と同類のものです。ロシアのLGBTに対する政策を批判して、相手が嫌がる表現をすることで対抗をしているのであり、トランスジェンダー自体を揶揄している表現ではない。
もちろん、プーチンはロシアの最高権力者であり、ヘイトスピーチのカテゴリーに「政治家」「権力者」なんてもんが入るはずがないので、その点でイスラムに対する風刺とは全然違いますが、揶揄をする方法として、LGBTを迫害する存在をLGBT扱いする手法自体は同じです。
風刺を規制することの難しさ
この手法自体を否定する人たちもいるでしょう。化粧をした男を笑う人々の存在を踏まえている表現であり、LGBTに対する社会通念をなぞり、再生産しているのだと。この解釈も十分に可能。
しかし、「化粧をしているだけで笑う側の意識に問題があるのであって、この表現は、笑いを求めているのではない」という反論も当然なされようかと思います。
つまり、こういった表現は、どう受け取られるのかまでは確定せず、確定しない反応までを想定して、表現を規制することは不当です。これを「私はこう見た」と批判することはできても、法で規制することはできないってことです。
あり得る解釈のひとつにのみ都合よく適用するように法を定めることはできず、そこを曖昧にしておくと、必ずや法は多数派に都合よく使われるのだし、権力者に都合よく使われます。
風刺表現が除外されるのは、「風刺は社会に必要だから」ということもあるかもしれないですが、それ以上に意味が確定しにくい表現だからだと思います。
なにを基準とするのか
「シャルリー・エブド」は宗教そのものを権力ととらえて、キリスト教やユダヤ教をもしばしば揶揄し、それらを並べて風刺する絵も多数掲載しています。
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