パンパンのいろいろ-「闇の女たち」解説編 2-(松沢呉一) -2,434文字-
「闇の女とは誰のことであったのか-「闇の女たち」解説編 1」の続きです。
「パンパン」という言葉
今回は、「パンパン」という言葉について。
昭和20年代は「パンパン」や「闇の女」は俗なカストリ雑誌から、公的な文書にも使用されています(「パンパンガール」だったり「やみの女」という表記だったりもしますが)。
しかし、「パンパン」という言葉もまた安定性がない。
この言葉がどこからどう生まれて広まったのかについては「神崎清説」がもっとも信憑性があります(この一文はもともと『売春なき国へ』に収録されていて、これを含めて何冊かの本を合わせた『売春』にも収録されている)。「日本街娼史」では神崎清説を補足する資料をいくつか挙げています。
戦前から横浜のチャブ屋で「パンパン屋」という言葉が使われていたという証言もあり、言葉の経緯からして納得できるのですが、一般化するのは戦後すぐのこと。進駐軍が広げた言葉のため、「進駐軍兵士を相手にする女たち」に偏りのある用法がある一方で、占領下においては検閲があったため、そのことを明示しにくく、広く街娼を「パンパン」と呼ぶ用法もあります。占領下の出版物についてはこちらの方がずっと多い。
必ずしも書けなかったわけではなく、進駐軍向けの街娼がほとんどいなかった池袋のような場所でも街娼は「パンパン」とされていますから、客を問わず、街娼はパンパンです。そのため、「洋パン」「和パン」と区分をする言葉もありました。私は当たり前のように、この言葉を使ってますが、当時のものを読んでいる人じゃないと知らんですわね。
「進駐軍を相手にする女たち」の中でも用法はさまざまで、しばしばキャバレーやダンスホールの女たちを含めて「パンパン」とされています。赤線と違って、売春料金には原則ノータッチであり、チップと個人営業が収入になります。かつては日本人向けでもそういう店は多くありました。ゲイバーもそうだったとインタビューの中で男娼たちが店名入りで詳しく説明してくれています(この場合のゲイパーは今のゲイバーではなく、ゲイボーイのいる店で、今のニューハーフの店につながる)。
今の中国のカラオケ屋にいる女たちにも似てます。つってもわかる人にしかわからんでしょうけど、彼女たちはチップで食べているため、店の外での商売に熱が入るわけです。
洋パンと和パン
ということもおそらく関係して、直引きと店の女たちとの間に差がさほどなく、どっちも同じ言葉でくくるのは理解しやすいのですが、そのため、日本人相手の女に「パンパン」と言った時と、兵隊相手の女に「パンパン」と言った時とでは指し示す範囲が違ったりします。
「横須賀基地にパンパンが五千人いた」と言う場合は店の女を含んでいる。「ノガミにパンパンが五百人いた」と言う場合は直引きのみで、店の女は含まない。
こういう数字を調査していた保健所としても、日本人相手は性病検査のある赤線とそれ以外を分ける必要がありますが、米兵相手はは分ける必要がないのです。どっちも売春していて、どっちも検査は原則ありませんでしたから、保健所としては同じ扱いでいい(一部地域では登録制にして性病検査をしていましたが、この時でも業態を問わず、すべてをまとめて登録制にしています)。
さらにはオンリーもここに含めていることがあります。オンリーについては「オンリーさんと混血児」あたりを参照のこと。
私のテーマは街娼、つまり路上の直引きなので、横須賀にいたパンパンのうち直引きの数だけを知りたいことがあるのですが、わかりません。半数くらいがそうであろうことは推測できるとして。
時代を経ると、売春をしている女総体を「パンパン」と言うようになります。「パンマ(パンパンマッサージ)」の時代になると、完全にそういう用法になっていて、米兵は無関係に成立する言葉です。
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