松沢呉一のビバノン・ライフ

テレビ版「吉原炎上」は原作と別物-「吉原炎上」間違い探し 1[ビバノン循環湯 75] (松沢呉一) -3,518文字-

「循環湯」の新シリーズです。かれこれ7年ほど前にネットで連載していたものです。現在はそのサイト自体が消えてます。

テレビでたまたま「吉原炎上」を観て、おかしな点が多すぎるため、ただひたすらその間違いを指摘していった内容。

吉原について書かれたものは容易に入手できますが、そこで取り上げているのはほとんどが江戸時代の吉原です。赤線やトルコ風呂の時代を取り上げたものもあ多数ありますが、明治から戦前のものが少ない。明治末期以降は、私娼(浅草十二階下、玉ノ井、亀戸)に人気が集まったことに一因があり、雑誌記事もそっちに多くを割いています。したがって、探すのが容易ではないながら、私はリアルタイムに書かれたものを読んでいたため、「吉原炎上」を観て、「ん?」と思った次第。

それをまとめて、自分の中で整理したいという欲望はこれで充分に果たされたため、映画の方の「吉原炎上」は今に至るまで観てません。「吉原炎上」はきっかけということで。

もとの原稿に加筆したり、訂正したりしつつ、進めていきますが、無茶苦茶長い。しかし、これを読んでおくと、遊廓の本当の姿が見えてきて、小説や映画で描かれる遊廓についての間違いを見抜けるようになるはずです。

絵葉書やら生の写真やら木版画など、図版はいろいろあるのですが、探すのが大変なので、そんなに面白い図版は入れられないと思います。文字が続いて読みづらいかもしれないですが、ご容赦ください。

 

 

 

はじめに

 

vivanon_sentence昨年の暮れ、テレビ朝日で、観月ありさ主演のドラマ「吉原炎上」の再放送を観た。憤慨した。

歴史的な間違いが多すぎ、あり得ないことが次々に起きる。そんなつもりで観たのでなく、テレビをつけていたら始まったので観続けただけなのだが、途中からは「間違い探し」という楽しみ方をしてしまって、ドラマとしてはまったく楽しめなかった。

純然たるフィクションであれば「ウソもよし」「時代考証がデタラメでもよし」「所詮テレビ」ってことで割り切ることもできるのだが、このドラマには原作がある。

原作は斎藤真一著『絵草紙・吉原炎上』(文藝春秋・1985)。副題に「祖母 紫遊女物語」とあるように、吉原にいたことのある著者の祖母である久野(ひさの)を描いたものである。つまり、この話は実話を元にしているのである。

原作はずいぶん前に読んでいて、時間が経ったため、細かなDSCN5015ところは覚えていない。性風俗に関心を抱く前に読んでいるので、資料を読み解くような注意を払っていなかったためでもある。注意を払ったところで、今ほどの理解がないので、中に書かれていたことをリアルに読み取ることはできなかったろう。

それにしても、ドラマの印象は、原作とはまったく違っていた。「こんな話じゃないだろ」と訝って、また、歴史的事実の間違いが原作から始まったのか、ドラマからなのかを確認する意味もあって、改めて原作を読んでみた。

いい内容だった。細かなところを私が覚えていなかったのは当然で、吉原での生活を中心に、淡々と祖母の人生を綴っていて、ドラマとはまったく別の物語であった。ドラマを観て、本の記述を連想することができないのだ。

この物語は、著者が母親から、つまり主人公である久野の娘から又聞きしたものだ。別の著書の記述によると、著者もまたある程度は祖母の久野から聞いているのだが、書かれたことのすべてが祖母の体験そのままではない。

明治時代の資料が参考文献一覧に多数挙げられていることから、細部は資料による補足がなされていることがわかるし、私もそのリストに挙げられた本を読んでいるので、「このフレーズはこの本からだな」とわかる箇所もある。

原作においても「著者か編集者の勘違いではないか」という点は見かけるのだが、誤植に近いようなミスであり、本を読み進む上で支障になるようなものではない。まして、ドラマで感じたような憤慨を感じるような間違いはひとつもない。斎藤真一の創作はあり得る範囲でなされていたことがわかる。

それに引き換え、ドラマは違和感だらけである。「こんなことがあるわけないだろ」と私が感じた点はことごとく原作にはなかった。素っ頓狂な創作なのである。

 

 

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