遣り手の役割-「吉原炎上」間違い探し 6[ビバノン循環湯 80] (松沢呉一) -3,145文字-
「遊女・花魁・お職-「吉原炎上」間違い探し 5」の続きです。
大店の娼妓たちが怒鳴り合う不自然さ
ドラマにおける「お職」という言葉の誤用は、嫉妬による女同士の争いの前提作りのためのものと疑える。
ドラマでは、妓夫らがいるところで、娼妓同士が「客をとった」などと大声で怒鳴り合ったり、いがみ合ったりするシーンか何度か出てくる。このような女同士の争いがドラマを進行させる重要な柱になっていて、それなしでは成立しない話になっていると言っていい。
しかし、原作ではそのような話は一切出てこない。こんな話が出てこないだけでなく、娼妓たちがいかに心優しい人たちであるかが繰り返され、娼妓たちもお内儀さんも親切であったことを記述している。
とりわけ角海老の娼妓たちはそれまでの中米とはまったく違う雰囲気で、ただ優しいだけでなく、威厳があったとしている。ドラマのような品のない女たちではないのだ。今の時代の人間が、自分を基準にして作り上げられるキャラの限界というところだろう。
そりゃ人気がなければ、人気のある妓を羨むことはあったろう。人間だからケンカをすることもあったかもしれない。しかし、遊廓の制度からして、ドラマのようなことが実際にあったとは考えにくい。ドラマの脚本家は、遊廓を現代のキャバクラと重ね過ぎではなかろうか。
飲み屋の場合には、ホステス同士が同席するため、嫉妬心や競争心がかきたてられることはあろうし、「客をとる」というような行為が実際にありえようが、おそらく脚本家は遊廓と客の関係を理解していないのだと思う。飲み屋だって銀座のクラブともなれば、他のホステスのパトロンと関係するようなことは禁じ手であろう。私もそっち方面はよく知らないわけだが。
初期の吉原では、一回こっきりの遊びはできず、初会、裏という、いわばお見合い期間を経て、契約料たる馴染み金を払って以降馴染みとして同衾をする。この過程で、遊女側から拒否することもでき、今で言えば愛人に近い要素のある存在だったのである。
同じ妓楼では、さらには同じ遊廓では、排他的な契約なのだから、決まった相手がいるのに、他の店に遊びに行ったことがわかると、武士でさえも制裁を加えられた。
明治以降はそこまでのことはないにせよ、それでも大店では、それ相応の手続きなしで、同じ店の中で相手をする娼妓をそうやすやすと変えることはできなかったし、赤線時代でさえも、こういう客は軽んじられた。
角海老はもちろん、「吉原細見」で小店とされていた中米でも、客の取り合いで露骨ないがみ合いがあったとは、原作のどことをどう読んでもありそうにない。
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