松沢呉一のビバノン・ライフ

セックスフォビアが導く未来-「おっぱい募金」批判の蒙昧 2- (松沢呉一) -2,751文字-

パターナリズムが固定する差別構造-「おっぱい募金」批判の蒙昧 1」の続きです。

 

 

 

性を考え、論じる機会を潰したい人々

 

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パターナリズムは家父長制に基づく道徳であり、差別構造をなぞるものでしかないことを理解するのに格好の題材であるフレッチャー論争を紹介した「パターナリズムが固定する差別構造」はたくさんの人が読んでくれたので、explicitの正しい用例を受験参考書で出しただけで騒ぎたてる人々の求める未来をナディーン・ストロッセン著『ポルノグラフィ防衛論』からもう少し見ておきましょうか。これに伴い、「パターナリズムが固定する差別構造」は「『おっぱい募金』批判の蒙昧」の1としました。今回が2。3もあります。

『ポルノグラフィ防衛論』で繰り返し指摘されているのは、性差別的な言動を問題にするのではなくて、性の情報そのものを問題視することの間違いです。

以下に紹介していくエピソードの数々は、米国ではすでに未来ではなく、過去であり、現在です。

 

 

一九九二年、カリフォルニア州サン・ベルナルディーノ・ヴァレー大学の英語学および映画学教授ディーン・コーヘンは、学生の苦情によりセクシャル・ハラスメント行為を行ったとして罰せられた。コーへンがクラスに、ポルノグラフィを定義するエッセイを書けと命じたからだった。ポルノグラフィ擁護ではなく、ポルノグラフィ定義である。なお悪いことに、連邦裁判所は、コーヘンに対する大学の懲戒免職処分を支持した。ようやく彼の身の潔白が証明されたのは、一九九六年に上訴裁判所の判決が出てからのことであった。

 

 

日本でも「露骨な性表現」「不適切な性表現」と言えば肯定的には使わないように、explicitという言葉はしばしば露骨な性表現を抑制したい側が使用するわけです。そのワードさえも過剰な性表現だと思える人たちにとって、「ポルノグラフィの定義」ってだけでチンコマンコを千個くらい並び立てるくらいの露骨な性表現に感じられるんでしょうね。

しかし、表現する者たちにとって「何が芸術か」「何がポルノか」を定義すること、あるいは定義不可能であることを確認することは大いに意味のあることです。「何が芸術か」「何が猥褻か」を公然と論じること自体が不適切であり、猥褻であるのであれば、裁判所は困ったことになります。

単語の正しい意味さえ教えられないのであれば、ポルノグラフィの定義も考えさせてはならないでしょう。何も見ず、何も考えない生き方が正しいってわけです。

 

 

ミロのヴィーナスも裸のマハも

 

vivanon_sentence「何が猥褻か」を定義づけることはたしかに難しい。だからといって、「裸だから猥褻である」「現に私は不快である」「女はそれに耐えられないほどか弱い(と私が勝手に思っている)」という理由を持ち出す人の主張を放置しておくと、長い長い間に蓄積されてきた芸術的評価、美学的価値さえも無効にされてしまいます。

 

 

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