松沢呉一のビバノン・ライフ

心中する娼妓を医者が語る-「吉原炎上」間違い探し 24-[ビバノン循環湯 98] (松沢呉一) -3,174文字-

娼妓は心中の名のもとに殺された-「吉原炎上」間違い探し 23」の続きです。

 

 

 

娼妓の単独自殺は稀である

 

vivanon_sentence前回、遊廓を舞台にした心中の分類を確認した。ドラマ「吉原炎上」に出てくる心中はどれなのかと言えば、どれでもない。男は遊廓に死に来ていて、それに娼妓が合意しているので、あえて言うなら「同情心中」だが、馴染みではなく、磯村英一の分類にはない心中である。どういうことかと言えば、こんな心中は考えにくいってことだ。

いかに男に死ぬ事情があったところで、一晩で娼妓がそれに同情して心中するなどと考えるのはナイーブにもほどがある。娼妓の命をなんだと思っているのか。その娼妓がずっと死ぬことを考えていて、たまたまそこに死ぬきっかけになる客がやってきたってこともあるかもしれないが、そもそも娼妓単独の自殺は少ない。ないわけではないのだろうが、小説を除くと、そんな話を私は読んだ記憶がない。

死にたがっている娼妓がいるとすると、病気だ。治る病気ならいいのだが、結核になったら未来自体が絶たれる。まさに世を儚む状態になる。これについてはこのあと詳しく実例を見ていく。

今の時代のドラマで、ずっと死ぬことを考えているキャバ嬢がいて、たまたまそこに死ぬ相手を探しに来た客が来て、意気投合して、その日のうちに一緒に電車に飛び込むドラマがあったら、「馬鹿か」と言われることは必至だろう。しかし、遊廓の女たちはつねに世を儚んで死にたがっていたかのような幻想があるため、それを不自然だとは思わない人たちがいる。だから、ともに死ぬ相手を探す客もいて、合意してくれなければ殺す。そして、こういうドラマも作られてしまう。

しかし、死ぬ相手をつねに探していた娼妓は実在するらしい。おそらくこれは自殺したいのではなく、心中したい「心中マニア」みたいなものかと思う。こちらは精神の病と言っていい。これだったら、その日のうちに心中することもありそうだ。

そういう娼妓の存在を確認できる資料がある。

 

 

松崎天民著『東京の女』より

 

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新聞や雑誌の短い報道では、その事情を正確に知ることができないが、近いところで遊廓の心中を見続けてきた人の証言が残っている。

 

 

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