松沢呉一のビバノン・ライフ

久野は遊廓の外でデートをしていた-「吉原炎上」間違い探し 26-[ビバノン循環湯 100] (松沢呉一) -3,403文字-

娼妓は監禁されていたのか?-「吉原炎上」間違い探し 25」の続きです。

 

 

 

理解できないドラマの展開

 

vivanon_sentenceドラマ「吉原炎上」で、主人公の久野は、かつての恋人である勇吉が結婚して子どももいると聞いて、そのことを確認するために吉原から逃げ出すシーンが出てくる。

遊廓から逃亡することを「足抜け」と言う。ドラマの場合は逃げること自体が目的ではないので、「足抜け」とは違うが、娼妓たちは遊廓の外に出られないため、久野も黙って脱出するしかなかったというわけだ。

DSCN6041その時、用心棒のような男たちは、「どうせ戻ってくる」と追いかけない。彼らの判断は正しく、久野はすぐに吉原に戻ってきてしまう。

しかし、逃げたことも、男たちが追わなかったことも、久野が戻ってきたことも、すべておかしな話だ。一般に思われている遊廓の「常識」に照らせば。

女たちは身請けされる か、年季が来るまで外に出られず、足抜けしようとしたら、すぐに追われてひどく折檻されたはずではなかったか。それでも女たちは出たくて出たくてしかたがないということになっているのだから、久野もそのまま逃げればよかったはずだし、それを見越して男たちは追うのが自然だったのではないか。

ドラマでは、遊廓を脱出した久野は元恋人が結婚して子どもがいることを確認、元恋人にひどい言葉を投げつけられ、いわば自暴自棄になって吉原に戻ってきたという設定になっている。戻ってきたことの辻褄合わせはできているが、どうして男たちは追わなかったのか、さっぱりわからない。

男たちは、久野が遊廓から飛び出した理由を知っていたのだとしても、もし元恋人が結婚したとの情報は間違いで、焼けぼっくいに火がついて戻ってこなかったり、あるいはドラマの通りの展開になって、ショックのあまり川に身を投げたりしたらどうするつもりだったのだろう。

※土手方面から吉原大門方面を見たところ。今となっては面白くもなんともない風景

 

 

おかしいぞと思ったら原作を確認

 

vivanon_sentenceでは、この設定のどこが間違っているのか。原作を確認すればいい。

原作にはこんな話は一切出てこない。これもドラマの完全な創作なのである。その代わり、原作では、最初に久野が入った中米で、「酉の市に行く」という理由で外出して、恋人である勇吉と落ち合っている。吉原から歩いて行ける神社の酉の市のことだ。もちろん、これは遊廓の外にある。単独の外出ができたのである。

 

 

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