松沢呉一のビバノン・ライフ

タイに見るかつての日本-「吉原炎上」間違い探し 33[ビバノン循環湯 108] (松沢呉一) -3,203文字-

遊廓を維持したのは家族制度と道徳だった-「吉原炎上」間違い探し 32」の続きです。

 

 

 

『黄金町マリア』で描かれる現実

 

vivanon_sentence前回書いた「女たちは家族制度の犠牲になった」という感覚は今の時代にはわかりにくいかと思う。現在だと「結婚制度の犠牲」「恋愛ファンタジーの犠牲」とした方がまだしもわかるかもしれない。

「夫のために」「子どものために」「好きな男のために」といった価値観は理解でき、また、それが美徳であるとの感覚が理解できたとしても、「親のために売春をする」という感覚は理解しにくく、そんな親たちがいたこと、それを孝行だと心底考えられていた娘がいたことが理解できないから、貧しさにつけこんだ周旋人や楼主が、騙すように娘を身売りさせたのだと思えてしまう人が出てくる。

今の時代から逆算する解釈だが、それは間違っている。ここまで繰り返してきたように、今の時代の自分の感覚がいつの時代にも通用すると考えるのは傲慢である。

黄金町マリアその時代の感覚を今の時代に理解しようとするなら、よその国を見た方がいいかもしれない。八木澤高明著『黄金町マリア』を読んでいて、私はかつての日本をそこに見出した。

この本の前半では、横浜・黄金町で働くタイ人たちとの接点が描かれている。横浜黄金町は、かつて麻薬売買の町として知られていた。横を流れる大岡川(下の写真)には港湾労働者たちが生活する船上ホテルがあり、風太郎たちが集まる場所であった。

それらを対象に売春をする女たちもいたが、赤線は真金町、青線は親不孝通りにあり、伊勢崎町周辺はパンパンストリートとも呼ばれたくらいに街娼も多かったため、歓楽街として黄金町が注目されることは長い間なかった。

 

 

エイズで亡くなったタイ人娼婦

 

vivanon_sentence1980年代くらいから外国人娼婦の街となり、今から十年ほど前まで、中国、韓国、タイ、コロンビアなどから来た女たちが客を引いていた。

著者はそこにいる女たちとの交流を試みるが、もどかしい思いをする。なかなか距離が縮まないことに読んでいるこちらももどかしく思う。

そのもどかしさを生じさせるのはまずは言葉の問題だ。片言のコミュニケーションでは当然限界がある。だから私は今まで外国人の取材はほとんどしてきていない。通訳を介さないと聞きたいところまで行きつけないのである。

そして、もうひとつは彼女らが置かれた環境の問題だ。著者を警察の人間ではないかと疑い、なかなか信用してもらえない。

私も日本人街娼の取材をする際には警察だと疑われることがよくあったが、相手は日本人であり、多くの場合は「話せばわかる」。話してもわからないこともあるため、信用されるための工夫はしていて、それでも断られることはあるのだが、外国人となると、その何倍も取材は困難になろう。

日本人と結婚をしていない限り、警察に逮捕されれば強制送還されて借金だけが残るのだから、警戒をするのは当然であり、あちらは日本の事情に疎く、言葉も通じにくいので、その疑念を払うには時間がかかり、そうそう本当のことは語ってくれない。

※街娼たちが私を警戒する様子は、4月発売の拙著『闇の女たち』(新潮文庫)でも繰り返し出てくる。掲載されているのは当然取材をさせてくれた人たちであり、断られたケースももちろんある。

 

 

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