松沢呉一のビバノン・ライフ

エロ天国細見記-玉ノ井の私娼たちは語る-[ビバノン循環湯 106] (松沢呉一) -5,947文字-

公娼と私娼は何がどう違ったのかを説明するため、「『吉原炎上』間違い探し」の中で宮下浩著『エロ天国細見記』を紹介しようと思ったのですが、この本自体、非常に面白く、「『吉原炎上』間違い探し」に関わる部分だけを紹介するのは惜しい。また、「『吉原炎上』間違い探し」に組み入れる作業も面倒なので、「『吉原炎上』間違い探し」とは別に、以前、メルマガで配信したものに手を加えて公開しておくことにしました。

これは「三島由紀夫も参加したパンパン座談会」など、今までにも何度か出している「松沢式売春史」という連載の文章です。

 

 

 

宮下浩著『エロ天国細見記』

発行所:三興社
発行日:昭和6年6月15日初版発行
文庫版 114ページ

「猟奇エロ・グロ叢書」シリーズ十冊のうちの一冊として出されたもの。初版もうちのどっかにあるが、写真は改訂された版。

このシリーズの改訂版はズッタズタに削除されて、意味がまったく読み込めないものがあるので、読むのであれば初版を勧める。入手しようとすると、古本価格がえらく高いが。

 

一般には永井荷風で知られるが、私にとって玉ノ井は滝田ゆうの漫画から始まった。中学から高校にかけて、寺島町シリーズのほとんどに目を通し、「ぬけられます」の看板、薄汚いドブ川、厚化粧をして客を引く女たちの姿。ドブのニオイ、汲み取り便所のニオイ、体のニオイ、化粧のニオイまでが漂ってきそうな滝田ゆうのタッチとともに玉ノ井は記憶に残った。

その印象が強いためだろうが、昭和初期に書かれた玉ノ井の様子を読むと、印象が大きく違う点がある。違うのは当然で、滝田ゆうは子どもの目から見た玉ノ井の記憶を再現しており、それはおもに戦中のことだった。

昭和十年代に入ると、こういった業種にも規制が加わり、また自粛が強まった。本来非合法の密淫売であるはずの玉ノ井だが、滝田ゆうの漫画にも警官がよく登場するように、玉ノ井や亀戸は半公認の売春街であり、いざ戦争となれば、当然公権力は口出しをしたろう。

しかも、どうしたって滝田ゆうである。あの絵で表現できる玉ノ井でしかない。

昭和初期のルポやエッセイに出てくる玉ノ井は、滝田ゆうの玉ノ井と重なりつつもずれがあり、そのずれのもっとも大きいのは「モダン」という点である。滝田ゆうも洋装の女たちを描いていたことがあったと思うが、印象に残ったのはしどけなく着物や襦袢を着た女たちであり、言動もまた垢抜けない女たちであった。

しかし、玉ノ井はしばしば吉原などの公娼と違い、モダンな場所として描かれ、それこそが人気を集めたとされる。そのモダンさは、建物や装飾ではなく、吉原にはいないタイプの女たちがここに集まっていたことに象徴される。借金を背負わず、親兄弟姉妹のためでもなく、主体的にここに来ていた女たちがいた。

 

vivanon_sentence一方で玉ノ井はあくどい業者がいた場所としても描かれている。公娼では法も警察も厳しく、女たちが仕事を始める際にも警察を通さなければならず、指定の周旋業者しか紹介をすることができなかった。

しばしば遊廓は、「あてもなく田舎から出てきた女が、途方に暮れて上野で立っていると、女中の仕事があると男に言われ、着いたところは吉原で、夜になったら客をつけられ、逃げようとしたら、“おまえを連れてきた男に金を渡している。その金を返せないんだったら、働いて返せ”と言われて泣く泣く客をとった」なんて話で悪どさが強調されるが、これは公娼と私娼の区別がついていない者たちのデマである。吉原ではありえない。モグリの紹介者は吉原では使えず、警察での許可を得ずして、その日のうちに女が働くことはできなかった。

これがありえたのは私娼である。こちらは存在自体が非合法であり、貸座敷や娼妓が法で縛られていたのに対して、こちらはいわば無法地帯。玉ノ井より亀戸に悪質な業者がいたとも言われるが、亀戸も半公認であった以上、警察が介入できないわけではないのだから、純然たる非合法業種の方がさらに悪質な業者が暗躍していたろう。

とは言え、「騙された」という話は玉ノ井や亀戸ではよく出てきて、モダンな玉ノ井とのギャップがある。つまりは、公娼のように法によって画一化されていたのではなく、組合も公娼ほど強くなく、吉原のような格式もなく、業者もいろいろ、女もいろいろ、客もいろいろってことだったわけだ。

それが人気を集めた理由であり、大正時代から昭和初期にかけて、吉原は玉ノ井や亀戸の私娼によって客を奪われていき、当時の雑誌を見ても、私娼窟の話はいくらでも拾えるが、吉原をとらえた記事は少ない。

 

 

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エロ天国細見記』は、玉の井探訪記だ。一般に「玉の井」は戦前も戦後も「のい」と略したが、この本には「りゅうとう」「ぎょくせい」と言ったとある。「ぎょくせい」は「玉の井」の「玉」と「井」だろうが、「りゅうとう」ってなんだろう。

 

 

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